抱きしめずただ言葉だけをいつまでも残して

まだ幼稚園生ぐらいだろうか。
その男の子が転び、少し先を歩いていた父親が慌てて戻り抱き上げた。
泣きながら、父親の首にしがみつく男の子。
父親は、頭を撫でながら、泣き止まそうと笑顔で話しかけていた。

「痛くない!」
手を繋ぐどころか、並んで歩くようなこともしてくれなかった私の父は、何かの拍子に転んだ息子のところへ戻って来てくれる人の訳がない。
泣くと機嫌が悪くなることをわかっていた私は、必死にこらえ立ち上がり、父のもとへ歩いて行く。
そしてやっと距離が近づくと、また少し前を父は歩き始めた。
「転ぶときは前な。手を着くからそんなに大けがはしない。後ろはダメだ、頭は守れ」
4,5歳くらいの時から、父は私に対し普通の会話をした。
まるで大人に話すのと同じように。
「いつまでも、そばにいられるわけじゃないんだ。いつか会えなくなる時が来る」
まるで早く私の前から消えることを知っているかのようなことを口にした。

並んで歩くようになったのは、十代の後半の頃だろうか。
その頃にはもう私は父の背を越し、目線を下にして話すことに、少し戸惑いを覚えていた。
「抜くのは背だけ・・・なんてやめてくれよ」
そう笑いながら、
「まだ楽しいことの方が多いだろうけど、世の中へ出れば、痛いことや辛いことばかりになる。その中で少しでも、笑って過ごせる日々を増やした人がきっと幸せなんだ。辛抱は嫌でもしなきゃいけないときがある。でも我慢はするな。ションベンと一緒だ。我慢は病気になるからな」
何故辛抱はしていいのかの説明はなかった。

「痛くない!」
苦しいことがあると、そう心の中で呟いてみる。
それでも耐えられないときは、避けてきた。
正しくはないのかもしれないが、父の教えなのだから、私はその人の息子なのだから、それでいいのだろう。
そう思うことにしている。

痛い思いをしたとき、それを癒し、抱きしめてくれる父ではなかった。
ただきついときに、思い出す言葉をたくさんくれる人だった。

バスの車窓から見えた、息子を抱きしめる父親。
あれも愛し方なのだろう。
それぞれの接し方が合っていい。
信号が変わりバスが動き出し、車窓から見えた親子の姿が見えなくなるように、時代は流れていく。
私の思い出の中の父の姿も、今はぼやけている。
ただ強い言葉だけを残して。

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