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アウェーな環境に身をおく。孤独を味わう

「アウェーな環境に飛び込んでいけば大きな役割を与えられるチャンスがある」

以前インタビューをしたある経営者が口にしていた言葉だ。ずっと記憶の片隅に残っている。字面だけみればよく耳にする言葉だが、その方のこれまでの人生遍歴、背景がずっしりとした重量と豊潤さを持っているため頭から離れていくことがない。

冒頭の言葉はあくまで働き方や仕事に関する文脈のなかで語られたものだが、その方自身、これまでの人生でアウェーと感じる場面を何度も経験しているようだ。そして、アウェーなところに身を置くからこそ自分が人間としても成長していくし(その表現がビジネス的な意味を持って嫌悪感を感じさせるなら“育まれる”といったほうが合っているか)、若々しさ・生き生きした感じを保つこともできる。総じてそんなふうなことを語っていたと思う。

30代になり、日頃感じる時間感覚も短くなり、気づけば齢35を迎えることになった2023年。周りは変わっていなさそうに見えて、確実に変わっていった。コロナ時代も気づけば3年をとうに過ぎていたし、同時に前職を退職して3年過ぎてしたし、今の仕事も3年目だかなんだかそんな時期に突入していた。

なにより、自分よりも若い人たち、子どもたち、そして確実に老いていく両親と接したときに、その時間の流れというものが一気に押し寄せてきた。堰き止められたものが勢いよく溢れるようにして。周りに広がり過ぎて収拾がつかなくなるような感じで。

宮崎に帰ってきて10年が経ち、社会人としても経験を積み、知り合いも増え、馴染みのお店もかなり増えた。目にする景色もだいぶ安定してきた。感情が波打つことが苦手で、ニュートラルさを維持したい自分としてはそれはありがたいことでもある。

しかし、同時に安定した地盤なんてものは簡単に崩れることも心得ている。そりゃあ30年以上も生きていれば誰でも気づくものだろう。それを見ないように蓋をするか、自覚して生きるか。とはいえ、匂うものは隙間からどんどん溢れてその存在を忘れさせてくれない。

周りの人たちが変化、成長していくこと、そして自分を囲む環境たちも流れるように変わっていっていること、それらに対して焦りを感じるようになった。それは生き急いでいるという感じではなくて、ある種の慣れ親しみに対する飽きから来ているものでポジティブに捉えている。

それに加えて、10歳なったごろを境に自分の意志や欲求、感情に蓋をして生きてきたので、それ以来溜めに溜めこんだものが滲み出てくるようになった30代。子ども心を取り戻すかのように、自分のあれやりたい・これやりたいを素直に表に出していくリハビリみたいなものをここ数年やってる。ほんとささやかなものだけど。

いや、そうでもしないとこのまま不満足なまま生きていくことになりそうだし、実際そんなまんまで老いていく人たちをこれまで何人と見てきている。なんか不満しか垂れない、おもしろくない大人にはなりたくないなと。

それは何か偉業を成し遂げたい、富と名声を得たいとか、そういう鬱屈したもの、肥大した自我、拗らせを力に即変換みたいな、そんなハイで躁鬱を行き来するような不健康な感じになりたいわけではなく。人様から見たら平々凡々でいいんだけど、自分の人生を自分自身が満足して生きていられるのかってところを見ている。

時間やタイミングは待ってくれない。自分がやりたいとウズウズ感じているその衝動や情動を大切にしてあげないと。何かを達成できなくてもいいから、自分が満足するように動いてあげないと、ずっとしこりを残して老いてしまう。

そういうのをまざまざと感じるようになったのが2022年〜23年だ。慣れ親しみから逃れること、子ども心を取り戻すこと、凝り固まった日常をほぐすこと、日常で見逃している景色を見ること、日常を異化すること、そんなことをテーマにしながら過ごしてきたこの2023年。

そのテーマを実際に毎日の生活に落とし込んでみるために「アウェーさ」を意識してこの1年を過ごしてきた。飽きや慣れを感じたらいつもと違った選択をする。走る道でもお店で選ぶ料理でも、これまで行こうと思って何年も見送ってきた場所、本当はその中にいたかったのにアウェーになることを恐れて行かなかったイベントなど。

仕事においてもそれは同様だった。幸い、個人事業主である以上、アウェーな環境に身を晒す、あるいは飛び込まざるを得ない機会は多い。それに仕事柄、いろんな土地へ行ってインタビューをしたりする。毎回、不安と心配を抱え、その直前まで緊張している。そこになかなか慣れはやってこない(これはこれでどうかとも思うが)。しかし、一つ何かを経験していくたびに自分は確実に変化しているようだった。それもそのときにはわからず、あとあと誰かと接しているときに不意に気づくか、相手に言ってもらえるか。

体が確実にガタが来ているなと感じつつも、老いに反比例するようにして人間的にもどんどん成長していきたいし、忘れてきた自分の欲求を大事にしたい。まあ、総じて日々を機嫌よう、気分よう過ごしていたいのだ。変わらないでいつつ、変わっていく毎日を絶望するよりは希望を感じながら生きていたいのだ。

2024年も相変わらず日常を異化する、旅するように過ごしていたい。だからこそ、アウェーに感じることも選んでいきたいし、慣れから離れた孤独を味わいたい。寂しさを感じやすい僕なので、どこまでやれるか。でも、誰かに会えない寂しさを感じられるのは健やかなことだと思う。

キャッチに使ったこの写真は2023年9月末に参戦した「THE DROP FESTIVAL 2023 in Japan」。一人で夏フェスに参戦するのは初めてだった。それこそ自分がアウェーに感じることを恐れていたが、結局は体を揺らして声を出してノリノリで楽しんでいた。ソウルフルでピースフルな一日だった。このときの感動と記憶、熱気は季節が真逆になった今でも覚えている。
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(この記事を書いていた1月1日、石川県能登地方を震源とした地震が発生しました。ずっとソワソワしていたこともあり筆が進みませんでした。被災された皆様がどうかご無事であることを祈っております。被災地の復興が早期に進みますように、多くの方が穏やかに眠れる日が早く訪れますように)

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