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石を投げ込む時間

久しぶりに朝にものを書く。仕事以外で朝にアウトプットを行うことはそんなにない。自分のことならなおさらだ。それでも朝早く起きて、卵かけ納豆ごはんをモリモリ食べて、深煎りのコーヒーをハンドリップして「ふーっ」とかため息ついている口のうちに何かを語り出さねばいけない気がしてきた。

なんだか自分は暇でも他人の目線では「忙しく見える」性分なようで、あまり人には「忙しい」と口にしないようにしている。そうでもしなければ仕事も遊びも誘いがやってこない。同じような稼業で忙しくしている人たちがごまんといるなかで軽々しく口にできないという思いや、仮に忙しくても日々生活するのが精一杯な現況もある。ただ、この1ヶ月ほどはほんとに忙しく外出先で会う知り合いには「忙しい」なんて口にしていた。

週が明け、いったん落ち着きがやってきた。その途端に燃え尽きに似たものがやってきて何かこう作業に身が入らない。週末の3連休で緊張が解けたこともあり昼近くまで起き上がることなく布団で過ごす。スマホでSNS開くか無為にWikipediaを閲覧するかPodcastを聴き漁る。Awich「Bad B*tch 美学」の歌詞にある「Bad B*tch 常己磨く インスタの前に日記開く」の一節を思い起こし、やっとこさ起き上がる。

お昼になりやっとメールの返信や最低限やらなければならないことに手をつける。悩ましいのは時間のできた今のうちにアレコレ進めておこうと思っていたことに手をつけれない、頭が働かない。ゆるゆると弛緩モードになっている。昨日もすぐ出せるだろうと思っていたコラムが夕飯の時間になってやっと出せた。筆の進まなさを自分語りを加えることによって解決した。人はなぜか自分語りに対しては饒舌になるものだ。

こうちょっと余裕が出てくると考えることが増える。すぐに役に立つわけでもない抽象的なこと、仕事でも生活でも変えたほうがいいと思うこと、時事ネタなこと、将来のこと。いろいろ整理が必要だ。そんな時間を今週つくっておきたいところだ(書いている今はすでに水曜だけどな)。遠回りでもポツポツと考えていることを実生活上に手繰り寄せたい。そのための絵を描きたい。

ここんとこ、仕事上のキャッシュ・フローの悪さの解消、日々の生活でフィジカルさをどう受容するか、仕事のなかでフィジカルさを組み込むことはできないか(あるいはフィジカルさを組み込んだ働き方はできないか)を考える。微々たるものでも収入の増加を。リスクヘッジと安定基盤の確保を。頭脳労働とはいえ頭脳労働に偏り過ぎることからの解放を。頭脳と身体の相互作用を、フィードバックを。

そんなことを夢想しつつ、「イマジン」で終わらせない手探りをやってく。


月曜日の夕方、友人が写真を撮りに行かないかと誘ってくれた。
暴風吹き荒れる海まで行った。観光地だが人はおらず波も荒れ狂っていた。
しかし、なんの目的もなく、ただ目の前の光景を写真に収める行為は何か憑き物がとれる気分だった。

目的や名目、日常のあれこれを武装解除。無為に何かに集中する時間は、人にヒントをもたらす。そんな気分になる。
(キャッチ写真はそのときのもの)






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