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『ケーキの切れない非行少年たち』からの警鐘

医療少年院での勤務で目の当たりにした多くの事例からの警鐘。
必要な支援を見過ごされてきた少年たちについて語られます。
 ("少年"ということばには男子も女子も含まれます)

凶悪犯罪を犯しそこにやってきた少年との面接。
紙に書いた円をケーキに見立て「このケーキを3人で食べるとしたらどうやって切りますか?」という質問に答えられない少年が一定数いるということから話が展開されていくこの書籍。
一例として軽度知的障害や境界知能と診断される子は社会の中で一定の割合存在します。
もしかしたら身近なところでも?
教育現場や家庭が、生きにくさを抱える子たちへの理解を深め、配慮や支援をすることで、生きづらい日々を送る人、やるせない犯罪を減らせる可能性が有ります。

 もちろん、障害のある少年だからといっても犯罪行為は許されることではありません。しかし、本来は支援されないといけない障害をもった少年たちが、なぜこのような凶悪犯罪に手を染めることになったのかが問題なのです。
 これまで多くの非行少年たちと面接してきました。凶悪犯罪を行った少年に、なぜそんなことを行ったのかと尋ねても、難し過ぎてその理由を答えられないという子がかなりいたのです。更生のためには、自分のやった非行としっかりと向き合うこと、被害者のことも考えて内省すること、自己洞察などが必要ですが、そもそもその力がないのです。つまり「反省以前の問題」なのです。これでは被害者も浮かばれません。
 こういった少年たちの中で、幼い時から病院を受診している子はほとんどいません。彼らの保護者・養育環境はお世辞にもいいとは言えず、そういった保護者が子どもの発達上の問題(絵を写すのが苦手、勉強が苦手、対人関係が苦手など)に気づいて病院に連れていくことはないからです。病院に連れてこられる児童は家庭環境もそこそこ安定しており、その親も「少しでも早く病院に連れて行って子供を診てもらいたい」といったモチベーションを持っています。
 非行化した少年たちに医療的な見立てがされるのは、非行を犯し、警察に逮捕され、司法の手に委ねられた後なのです。一般の精神科病院に、こういった非行少年たちはまず来ません。

第1章 「反省以前」の子どもたち P21

 では彼らは、いったい学校でどんな生活を送っていたのでしょうか。彼らの成育歴を調べてみると、大体、小学校2年生くらいから勉強についていけなくなり、友だちから馬鹿にされたり、イジメに遭ったり、先生からは不真面目だと思われたり、家庭内で虐待を受けたりしています。そして学校に行かなくなったり、暴力や万引きなど様々な問題行動を起こしたいし始めます。しかし、小学校では「厄介な子」として扱われるだけで、軽度知的障害や境界知能があったとしても、その障害に気づかれることは殆どありません。中学生になるともう手がつけられません。犯罪によって被害者を作り、逮捕され、少年鑑別所に入って、そこで初めて「障害があったのだ」と気づかれるのです。

P25

 非行は突然降ってきません。生まれてから現在の非行まで、全て繋がっています。もちろん多くの支援者がさまざまな場面で関わってきた例もあります。でもその支援がうまくいかず、どうにも手に負えなくなった子どもたちが、最終的に行き着くところが少年院だったのです。子供が少年院に行くということはある意味、"教育の敗北"でもあるのです。

P26

当事者になったり、事例を見ていなければ想像しにくいかもしれません。
筆者は公的支援の大切さも訴えますが、成熟には時間が掛かります。

必要に応じてこの視点を思い出せるように関心は持っていたいと感じます。


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