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紺野登の構想力日記#09

イノベーションのためのジャーナリングの教科書【1】


◇ インターネットとアリアドネの糸

ジャーナリングは面白い。
Facebookもブログも、一つのメディアとして広まったが、その形式はつまるところ日記、すなわちジャーナルだ。
通常ジャーナルというと定期刊行物、といった意味しかないのだが、「ジャーナリング」となると、個人的な観察、内省の記録。単なる日記以上の意味をもってくる。

ではなぜジャーナリングなんかやるんだろう?

その問いを解く鍵はインターネットにある。ジャーナリングへの関心は、明らかにインターネットの登場と歩調を合わせている。
Google Booksのデータベースでの「journaling」の出現頻度をみると1995年以降、急激に使用頻度が高まっていることがわかる。

ジャーナリング

1995 年を境に、インターネットで個々人のネットワークはまさに地球的に広がった。視野、知識、意識、感情など多くの爆発的拡張が起きたが、そこには落とし穴があった。
自分自身の内面の、精神の危機だ。膨大な情報が襲ってきて、自分が自分でなくなるような感覚。
そこで人々はブログを夢中で書き始めた。Facebookでは写真入りの日報をせっせと投稿し、自己表現し、自分という存在を自分で確かめようとした。
そうしてもなお不安から逃れらず、それらの形態からさらに進んで最近は、内面をめぐるジャーナリングをする人が増えている。

ジャーナリング、というと「ああ、ブログですね、自分も書いています」という人がいるが、ジャーナリングはブログやFacebookへの投稿とはまったく異なる。
まず、ブログは他人、読者を意識することがあるが、ジャーナリングはあくまでも自分に向けたものである。

それは、情報社会・デジタル社会の迷宮で自分を見失わないための「アリアドネの糸」のようなものだ。
アリアドネは、ギリシャ神話に登場するクレタ島の王女。アテネの英雄テセウスが怪物退治にこの島を訪れたとき、彼に恋をしたアリアドネは、テセウスが迷宮(ラビリントス)に入るときに、無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、糸をたどってラビリントスを脱出できるようにと助けた。テセウスは怪物ミノタウロスを退治し、その糸をたどって迷宮から脱することができ、アリアドネは彼とともにクレタを脱出することができた。

21世紀の迷宮でいま人々は、自己を見失わず、無事に迷宮から脱するためのアリアドネの糸として、ジャーナリングを始めているのではないか。ぼくにはそう思えてならない。

◇ ジャーナリングをめぐるジャーナリング

それだけではない。ジャーナリングは、ポジティブ心理学との関係も深い。

ポジティブ心理学というと、米国心理学会会長であったマーティン・セリグマン博士の名が創始者として真っ先に上がるが、セリグマン博士とともに研究を推進した一人に、心理学者のミハイ・チクセントミハイ博士がいる。
2人の共著論文「Positive Psychology: An Introduction」(2000)が、ポジティブ心理学のベースとなっている。

チクセントミハイ博士といえば、日本では「フロー理論」で有名である。
フローとは、たとえばスポーツに熱中しているときの没入感覚を伴う楽しい経験。それが充実感、幸福感につながり、発達や成長につながる、という理論だ。フロー理論の考え方は、この構想力日記でもたびたび触れている禅の思想や西田幾多郎の哲学と非常に近いものがある。なので日本人には相性がよいのだろう。ビジネスの世界でも広く参照されている。
そのフローの概念が、ポジティブ心理学の主要な部分を占めているのである。

米・シカゴ大学の心理学の教授を退官後、チクセントミハイ博士は、クレアモント大学院大学に招かれ、同大学院内にピーター・ドラッカーが創設した「ピーター・ドラッカー・スクール・オブ・マネジメント」(通称:ドラッカー・スクール)のまさに看板教授として活躍するようになる。
そして、世界で初めてのポジティブ心理学の博士課程を、ドラッカー・スクールの中に開設している。
その意味で、ドラッカー・スクールは、ポジティブ心理学の震源地の一つだったのだ。

考えてみれば、ドラッカーの思想には早くからポジティブ心理学的な要素があった。したがって、2000年代になり、ドラッカー・スクールでポジティブ心理学の花が開いたことは不思議なことではない。
チクセントミハイの著書『Good Business: Leadership, Flow, and the Making of Meaning』(邦訳『フロー体験とグッドビジネス:仕事と生きがい』大森弘訳、世界思想社、2008)に対しても、ドラッカーは、「幸福と達成の心理学の基本書」であると賛辞を送っている。

人が充実した活動を行なえる組織や社会のあり方とはどういうものか、という探求は、ポジティブ心理学の創設よりはるか以前から行われているけれど、20世紀末から起こったデザイン思考やデジタルトランスフォーメーションなどの考え方も、要は、みな同じような時代背景のなかで必然的に出てきているように思う。
そして、それらはすべて「創造的な思考態度」という意味でジャーナリングとつながっている、というのが、ぼくなりの仮説だ。そのことについて、これから検証してみたいと思う。そんな思いで、ジャーナリングをめぐるジャーナリングを始めることとする。

◇ 「VRの父」ジャロン・ラニアーの警鐘

今年1月に出版した『イノベーション全書』(紺野登、東洋経済新報社)で、ジャロン・ラニアーについて触れた。最初期のVR技術の探求者であり、起業家であり、現代音楽の作曲家であり、マクロソフトリサーチの研究員でもあるが、そもそも「バーチャル・リアリティ」という言葉の発案者でもある彼は、インターネットにより浸食された人間性の回復を強く訴えている。

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【コラム】人間性を回復しよう
フリー経済、情報の無料化の安易な礼賛に対しては、「VRの父」とも呼ばれるコンピュータ科学者ジャロン・ラニアーも警鐘を発しています。『人間はガジェットではない──IT革命の変質とヒトの尊厳に関する提言』に続くWho Owns the Future(未来は誰のものか?)でも、技術的楽観主義に対する厳しい見方をあらわにしています。見せかけのフリー経済により富の大部分を丸ごと奪っていく存在としてGAFAをはじめとする巨大IT企業に辛辣な批判を浴びせています。
「私たちは、システムを目的なく膨張させてきたインターネットや情報の世界に、すっかり取り込まれてしまったようです。インターネットの世界は、人間と情報の境目をなくして、情報の中に人間が組み入れられていく」
これまでのイノベーションは、シュンペーターはじめ進歩をひたすらめざすものであったことは先に述べたとおりです。それは、経済的には間違ってはいないのですが、問題はその中身です。
20世紀に人々が邁進したイノベーションは、人間性を失っていく方向に行き着くところまで行ってしまったようです。21世紀は、その人間性を回復するイノベーションが求められるのです。
(『イノベーション全書』紺野登、2020、東洋経済新報社、p.49)

これほど混沌とし、複雑である現実のなかでは、人は自分の内面に向き合わないかぎり、その重圧や混乱に巻き込まれてしまうだろう。

一歩引いて、自分の内面を見つめることが非常に大事な時代なのである。
ジャーナリングに人々の関心が集まるのは、そのためである。

◇ ジャーナリングの利点とは?

ところで、ぼくがジャーナリングに関心を持ったのは、先ほどもポジティブ心理学との関連で登場したドラッカーの回想からであった。
ドラッカーは、ジャーナリングを徹底的に活用した先人の一人なのである。

ドラッカーはジャーナリングについて、「何かカギになる決定や活動を行なうときには何が起きて欲しいかを書き記すこと。9か月か12か月後に、その期待と実際の結果を比較する。私はこの方法をもう何年も行なってきた」と言っている。まさに構想力を鍛えるためにジャーナリングを活用していたのである。

またジャーナリングには6つの利点があるという。

(1)自分の強みに気づかせてくれ、それに集中できる
(2)知識のギャップに気づき新たな学びに導かれる
(3)自信過剰に気づかされ、いかにそれを克服するかを教えてくれる
(4)悪癖を明らかにして修正する機会となる
(5)悪癖がいかに障害となっているかに気づく
(6)一体何を約束してはいけないかを明らかにする、なぜなら約束はなかなか守れないから

一定期間のジャーナリングの結果、自己の内部に自分なりのデータベースとフィードバックプロセスが形成され、ある意思決定や判断の局面で、迅速で、的確に何が善いかを判断できるようになる。つまりジャーナリングの継続によって、フロニモス(賢慮のリーダー)としての判断力や実践力を養うことができるのである。
では実際にどのような方法でジャーナリングを実践していけばよいのか、それは次回以降に。(つづく)


紺野 登
多摩大学大学院(経営情報学研究科)教授。エコシスラボ代表、慶應義塾大学大学院SDM研究科特別招聘教授、博士(学術)。一般社団法人Japan Innovation Network(JIN) Chairperson、一般社団法人Futurte Center Alliance Japan(FCAJ)代表理事。デザイン経営、知識創造経営、目的工学、イノベーション経営などのコンセプトを広める。著書に『構想力の方法論』(日経BP、18年)、『イノベーターになる』(日本経済新聞出版社、18年)、『イノベーション全書』(東洋経済新報社、20年)他、野中郁次郎氏との共著に『知識創造経営のプリンシプル』(東洋経済新報社、12年) などがある。
Edited by:青の時 Blue Moment Publishing

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