KOUUMEKAWA

大学7年生(=小学校を超えた)。 文学/ 軽い読みものなど。余技からヨーギーへ。

KOUUMEKAWA

大学7年生(=小学校を超えた)。 文学/ 軽い読みものなど。余技からヨーギーへ。

最近の記事

  • 固定された記事

これは、「エッセイ」であって、「物語」ではない。

    • 禁じられたアソビ

       僕にとって禁じられたアソビは、「飲酒」よりも「喫煙」だった。  「禁じられている」からこその「アソビ」であり、そこに「法」や「社会」は存在しなかった。  特に、「喫煙」は、当時僕が一人になるための道具でもあり、「ともだち」との関わり合いの道具でもあった。  そもそも、「喫煙」のきっかけが「ともだち」だったのだが、やがて一人になり、「現実」を何とかしようとするための、自分なりの「抵抗」のための道具になった。  その時「何とかしょうとした現実」は、もうここにはないし、それは今の

      • ウコワカメウのトリニティ・コレッジ

         そもそも「トリニティ」は、キリスト教において、「三位一体」の意味を表す。  「三位一体」を「神」–「父」−「子」という、簡単に図式化するならば、それは宗教をも越える意味を持つだろう。  その意味において、現代のトリニティを考えるならば、「神」=「メンター」、「父」=「親」、「子」=「自分」という図式を描いてみてはどうか。  だから、「神」「父」の項目には、さまざまな事柄が代入できる。それは、個人個人によって可変し、「子」の自己同一性によって、千差万別であり、ラカン風にいうな

        • (後編)日記改題・久しぶりに会った友人と暴飲暴食の末、日常生活に支障をきたす程の腹痛が約1週間続き、お酒を控えるようにならざるを得なかった、はなし。

           はあ。  もう3週間くらい?わかんないけど経ったから書く。  前回は確か、スペイン料理屋での一幕までだった気がするので、わざわざ確認することもしないのだが、我々は話に話を重ね、杯に杯を重ね、皿に皿を重ねた結果、もうぎりぎりのギリで、ギリの精神で近くのサイゼリアに行くことにした笑  もう、ひどい、とか、ああこれがインバウンドね、とか、やっぱ若い人はすごい飲み方するな笑、とかもうそんなことは書けないし、書ききれないので笑、もう相当に食べ、相当に飲んだことだけをここに記す。それも

        • 固定された記事

        これは、「エッセイ」であって、「物語」ではない。

        • 禁じられたアソビ

        • ウコワカメウのトリニティ・コレッジ

        • (後編)日記改題・久しぶりに会った友人と暴飲暴食の末、日常生活に支障をきたす程の腹痛が約1週間続き、お酒を控えるようにならざるを得なかった、はなし。

          アーネスト・ヘミングウェイ試論 「バーカウンターと副詞たち」

          参考文献: アーネスト・ヘミングウェイ著、柴田元幸訳『こころ朗らなれ、誰もみな』(2012、スイッチ・パブリッシング) 西尾巌『ヘミングウェイ小説の構図』(1992、研究社) 武藤修二『ヘミングウェイ『我らの時代に』読解』(2008、世界思想社) 安井稔、安井泉『英文法総覧 大改訂新版』(2022、開拓社)

          アーネスト・ヘミングウェイ試論 「バーカウンターと副詞たち」

          めちゃくちゃ疲れているので、豊洲に行ってみる。

           普通、人は普段以上のタスクをこなすと疲れる。あたりまえのことだが、これは大事な因果関係だ。若かったり、元気だと自分では思っていたり、他人に迷惑をかけちゃいけないって勝手に思ってたり、人を傷つけてしまうから言葉は発しない方がいいと一人で苦しんだり、人は時に無理をしてしまう。  「〇〇は優しい子ね」と言われて育った子は、本当に「優しい」のだろうか。誰にとって?  とにかく、自分が思う自分を見つけ出すこと。と言うか、子供時代を思い出すこと。意外と大変で、その分たのしかったりするの

          めちゃくちゃ疲れているので、豊洲に行ってみる。

          (予告)バスター・キートンの映画泥棒

          Eiga-dorobou as Buster Keaton  皆さん、「映画泥棒」を知っていますか?  もし知っているとしたら、あなたは映画を劇場でみたことがあり、たとえみたことがなくても「ああなんかカメラの格好をした人が動いたりする奴ね」というイメージは想像できるのではないでしょうか。  そう、「映画泥棒」は、映画の泥棒なんです。具体的にいうと、映画が始まる前に、録音したり、撮影することを禁じるコマーシャル=映像なんです。詳しくは分かりませんが1、2分か、もっと短い映像

          (予告)バスター・キートンの映画泥棒

          「生活の知恵」=サイレントで観る「デッドマン」ジム・ジャームッシュ監督

           こないだ目黒シネマで、その映画を見たから書いてみる。言うまでもないが、ネタバレはあるよ笑  作品は「デッドマン Dead Man」。  まあ、出だしはいいですよね。ジョニーデップが汽車に乗っているシークエンス。徐々にギターらしき音=サントラが聞こえ始める。ここまでは特に不快ではない。  列車は、終点=どん詰まり(dead end)につく。町の名前は「マシーン machine」。日本語に訳すと「機械」。そう、主人公は「機械」という辺境に行くことから、この映画は始まるのだ。ジ

          「生活の知恵」=サイレントで観る「デッドマン」ジム・ジャームッシュ監督

          「詩」について。

           本来、詩とは形式如何に関わらず、その形式内で表現されなければならない。例えば、「俳句」は、五七五という「語数」ないし「音数」が絶対的でなければならないだろう。そうした堅固な形式があってこそ、「自由律俳句」=「自由詩」が存在し得るだろう。字余り、字足らずを含めて。  「英語詩」に目を向けてみよう。古来より英語詩とは、「韻文詩」であった。「格」という厳格なルールがあり、ウィリアム・シェイクスピアのソネットもその例外ではない(英詩において「無韻詩」はあるが)。その意味で「詩」にお

          「詩」について。

          (前編)日記・友人と3年ぶりに再会し、暴飲暴食の限りを尽くした結果、両人ともに過去最大の腹痛に見舞われた話。

          過去最大の腹痛が、少なくとも四日間続いている(現在進行形)男たちの記録。 場所・有楽町〜銀座 行程・ビールメインの軽食(pub的な)屋〜レストランのバーカウンター〜イタリアンレストラン〜スペイン料理屋〜イタリアンレストラン(サイゼリヤ)  もう、1週間も経ったことだし、書こうと思う(永遠に書かないという選択肢もあるにはあった笑)。  大学の友人から連絡があったのは今月の初めか、先月の終わり頃だったと思う。私と違って彼は、とっくに就職し、今年は2年目だという。4月に東京

          (前編)日記・友人と3年ぶりに再会し、暴飲暴食の限りを尽くした結果、両人ともに過去最大の腹痛に見舞われた話。

          エッセイ・はやく大人に成りたかった。

           小説=ドラマ化ができないので、随筆=エッセイを書く。  思い出すのは、弟と祖母と祖母の家から恵比◯まで歩いて行った日だ。確か春。寒くはなかった。  当時から、というか物心ついて少し経つと、主にドラマやアニメ(女の子が見るような、少し大人びたやつ)の影響からか、電車や仮面ライダー戦隊モノと並行して「大人っぽいもの」に興味を持っていた。周りにいた「大人」による影響も大きい。元気だった祖父と前述の祖母(まだまだ元気。笑)に連れられて行った料理屋、料亭。流石に(食べ物の)「味」ま

          エッセイ・はやく大人に成りたかった。

          X(Twitter)ではなく、 Twitter(X)。

          X(Twitter)ではなく、 Twitter(X)。

          ていうか、noteってほぼTwitter(X)じゃん!!!!!笑 軽い「エッセイ」以外は「つぶやき」だし笑。小鳥のさえずり(tweet)以下ですけどね笑 10年ぶりの「つぶやき」との『再会』。待ち侘びてはいなかったが…

          ていうか、noteってほぼTwitter(X)じゃん!!!!!笑 軽い「エッセイ」以外は「つぶやき」だし笑。小鳥のさえずり(tweet)以下ですけどね笑 10年ぶりの「つぶやき」との『再会』。待ち侘びてはいなかったが…

          だって、弦楽器だって鍵盤楽器だって管楽器だって何だって、指揮棒だって叩こうと思えば叩けるし。お金と時間は無駄になるが笑

          だって、弦楽器だって鍵盤楽器だって管楽器だって何だって、指揮棒だって叩こうと思えば叩けるし。お金と時間は無駄になるが笑

          国文学科だったら、確実に筒井康隆で卒論書いてる。テーマは「『残像に口紅を』に見られる、言語の打楽器的使用について」。当たり前だが、『バブリング創世記』と接続は必ずするし、そもそも全ての楽器は打楽器的である。というテーゼを立てなければならず(そうじゃないと字数が笑)、壮大すぎるので

          国文学科だったら、確実に筒井康隆で卒論書いてる。テーマは「『残像に口紅を』に見られる、言語の打楽器的使用について」。当たり前だが、『バブリング創世記』と接続は必ずするし、そもそも全ての楽器は打楽器的である。というテーゼを立てなければならず(そうじゃないと字数が笑)、壮大すぎるので

          (予告)ゴダール・バルト・サカモト

           未。 キーワード 同期/非同期、晩年、手の仕事、遺作旺盛な活動、非小説

          (予告)ゴダール・バルト・サカモト