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身体感覚を失わないデジタル記事の書き方・読み方



0.はじめに

ネット上のデジタル記事に触れる人は多いだろう。筆者もその一人だし、この記事もまさにデジタル記事である。
当ブログは元々、本の紹介や解説、感想を書くために始まった。最近は扱うテーマが広がり、読書に限定されていないが、それでも一応は読書を主軸としており、今後もそれは継続する予定だ。
ただ、ここ最近は懸念事項が出てきた。
というのも、果たして記事の投稿だけで本の魅力を伝えきれるのか、また伝わっているのか、疑問に感じてきたからである。
「北海道の◯◯を紹介する」シリーズやゲームレビューなど、軽く読んでもらって構わない記事ならいざ知らず、読書感想文や書評など深く読んでもらうことが前提の記事は、きちんと書かれ、また読まれているか不安になっている。
今回は、デジタル記事を真の意味で活用できるようにするためにはどうすべきかを考えていく。


1.書く場合の問題点

まずは「書き方」だ。というか、デジタル記事をそもそも「書く」と表現するのは適切ではない。便宜上「書く」「執筆」と表現しているだけで、実際にやっているのはただの「入力」だ。
入力はデバイスひとつで行えるため手軽だが、記憶に残らないという欠点がある。
人間の記憶は連想ゲームのようなもので、関連する情報があったほうが印象に残りやすくなる。プルーストの『失われた時を求めて』でも、マドレーヌを食べることで幼少期の記憶を連鎖的に思い出す様子が描かれていた。記憶はそれ単独で完結するものではなく、関連する情報と合わせて脳に刻み込まれているのだ。
紙に書く場合、使っているペンの材質、書いている場所やそこの匂い、書き間違えた跡や消しゴムの跡、そうしたものを含めて記憶に残る。だから、記憶本体を忘れてもその関連情報を思い出すことで、間接的に記憶を呼び起こすことができる。

だがデジタルにはそれがない。画面はいつも同じで、レイアウトも紙のように自分で設定できない。わからない漢字があっても辞書を引く必要がなく、変換機能で済ませることができてしまう。だから、
「あの記事にはあの難しい漢字を使った」
という情報も残らない。残らなかったものは記憶されないので、関連情報がひとつ消え、記事の記憶もまた薄れてしまう。
デジタルの画面や文字は均質的で、印象に残らない。だから覚えられないのだ。書き間違いをしてもすぐ消すことができ、その形跡が残らないため、自分の思考プロセスもわからない。
だからいくら記事を積み重ねても、それだけでは私の記憶に定着しないのだ。


2.読む場合の問題点

読む場合も同様だ。
まず、「読む」というのも便宜上の表現にすぎない。実際はただ字を追っているだけで、紙の書籍を「読む」のとは違う。
「デジタルだろうが紙だろうが、書かれている内容が同じなら、同じ【読む】ではないか?」
と思うかもしれないが、そうではない。

紙の書籍の場合、画面をスクロールできない関係上、集中して字を追わなければならない。とりわけ抽象的な話をしている場合、具体例を考えるなどして頭をかなり働かせないと内容が入ってこないはずだ。
ところがデジタル記事の場合、マウスやキーボード、指で簡単にスクロールでき、「なんとなく読んだつもり」で読み進めてしまう。つまり、理解が不十分なのに「読み終える」ことができてしまうのだ。これがデジタル記事の最大の問題点といえる。要するに、本来の読書に必要な「深く、じっくり考える」という行動が、デジタルの場合は要求されないのだ。

また、紙の書籍の場合、所持していれば読み返すこともあるだろう。紙という「現物」があるからだ。そうすればより記憶は定着する。
しかし、デジタル記事を読み返すことはほとんどないだろう。なぜなら現物がないからである。読んで満足してしまい、記憶が定着しないのだ。せいぜいブックマークした記事をたまに読み返すくらいだが、それも結局は字を追っているだけなので、やはり記憶に根付くことはない。

このように考えると、ただ闇雲にデジタル記事を投稿・閲覧するのは無駄に思える。
効果がほとんどない記事なら投稿する意味はない。投稿するのであれば私と読者、双方に有意義なものでなければなるまい。
そこで対策を考えてみることにした。


3.対策

(書く)

まず、予め手書きで紙に記録してからデジタル記事にすべきだろう。構成を考え、わからない漢字は調べ、その記録も確認できるようにしておく。また、書いて終わりではなく、たまに読み返して改善点などを考える。そうして自分の記事を振り返ることで記憶に定着させる。その上で、デジタル記事にして読者に提供すればよい。即興で思い付いた記事を書くのも悪くはないが、じっくり考えられた記事の方が論理構成が良く、内容にまとまりができて記憶に残りやすいだろう。
事実、私の記事も「恋愛が終わった日」のように長年温めてきたテーマと、単なる書籍紹介記事とでは内容に雲泥の差がある。


(読む)

暇潰しに閲覧しているならともかく、記事を読むことで有意義な時間にしたいなら工夫が必要だ。ただ記事を目で追って最後までスクロールするだけでは足りない。
まず、価値があると思った記事は印刷し、可視化することでいつでも読めるようにする。定期的に読み返し、記憶に定着させる。このとき、音読するのも良い。より頭に入るようになるはずだ。
あるいはその記事を書き写す、または「自分ならこう書く」と想定し、書き直すのもひとつの方法だ。
読むだけでは記憶に定着しないのなら、書けば良い。実に単純な発想だが、効果は小さくないだろう。

感想文を書くのも良い。なんとなく面白かった、つまらなかったではなく、どこが、なぜ、どのようにそう感じたのか。自分の感情を書き綴っておく。そうすることで、記事はより見近なものとなり、具体性を帯びてくる。具体性があればわかりやすく、記憶に残りやすくなるはずだ。


4.おわりに

デジタル記事との向き合い方について書いてみました。デジタル社会化によって他者の意見を知ることができたり、議論ができるようになったのは進歩と言えますが、それによってぼくらが本当に賢く、豊かな思考ができるようになったかは疑問です。むしろ、瑣末なことに拘泥して時間を無駄にしている可能性も高いです。
読むにしろ、書くにしろ、身体感覚に根差して行わなければ記憶に定着しない。私はそう考えています。
どうせ書いたり読んだりするなら、有意義な方が良いでしょう。今回の記事が参考になれば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この記事に価値があると思ったら、ペンを持ち、写すのでも、感想文でも、自由に紙に書いてみてください。
それでは次回の記事で会いましょう。

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