地政学から見たロシア

地政学とは

地政学とは、地理学と政治学を合わせた考え方で、国家の戦略や戦術は、地理的な要素に左右されるということを研究する学問だ。
地政学には二つの流派があり、一つはイギリスで生まれてアメリカで発展した英米流の地政学。もう一つは、ドイツで生まれてスウェーデンやロシアで発展した、ヨーロッパの大陸の地政学。


英米流地政学

英米流の地政学は、ハルフォード・マッキンダーが提唱したもので、大陸を支配するランドパワーの国と、海洋を支配するシーパワーの国という二つの区分けをしている。そして、この二つの国は基本的に戦うことになると示唆している。

ランドパワーの国というのはどういう国を指すかというと、ユーラシアの中心部分をハートランドと名付けているんだが、このハートランドを支配する国がランドパワーの国だと定義づけている。
マッキンダーがそう定義づけた1914年当時、ハートランドに当たるのはロシア帝国とドイツ帝国だった。
一方、当時のイギリスは全世界に植民地を持っており、海上航路を抑えることで世界中で力を発揮しているシーパワーの国だった。
そして、イギリスはロシア帝国やドイツ帝国と対立していた。

ランドパワーの国は基本的に土地に対する執着が凄い。そして、土地をきちんと支配する為に、領地を拡大しようとする傾向がある。
シーパワーの国は、土地を支配することよりも貿易を通じた権益を守ろうとするので、攻撃性はランドパワーほど強くはないと、マッキンダーは定義している。
膨張しようとするランドパワーの国が、どこかで必ずシーパワーの国と衝突してしまうのは自然な成り行きということとなる。

歴史上でそういった対立例を挙げると、ランドパワーの古代ペルシャ帝国とシーパワーの古代ギリシャ。更に、モンゴルや、清といった中国の北側の勢力も、ランドパワーとして挙げられている。シーパワーは三国志の呉や南宋、明といった中国南部。明は巨大な船団を作ってアフリカまで遠征したりしている。ヨーロッパにおけるシーパワーの国は、近世のオランダ、ポルトガル、スペイン、イギリスといった大航海時代に力を発揮した国々。
そこにアメリカと日本も加わってくる。

この二種類の国がなぜ戦いになるかというと、基本的にユーラシアの中心を占めるハートランドの国が一番強くなれると思われているからだと説明されている。
どういうことかというと、古代ギリシャはアレクサンドロス大王率いる軍団によってペルシャ帝国を攻め滅ぼしたし、フランスはナポレオン率いる軍がドイツ・ロシアに攻め込んだ、ナチスドイツもウクライナ・ソ連に攻め込んで、ユーラシアの中央部を取ろうとした。
基本的には、ユーラシアの中心部を取ると、世界の覇権というものを取れると思われているので、一度戦いになると大規模なものとなってしまう。

本当かどうかは分からないが、かなり説得力はある。
実はこの考え方は、現代でも各国の安全保障戦略の根幹になっている。
これを発展させたのが、アメリカ人のニコラス・スパイクマン。
彼は第二次世界大戦直前に、アメリカの安全保障政策を地理学的に立案する必要があり、ハートランドの周辺国、イギリス・フランス・中東・中国・日本のことをリムランドと呼んで、ハートランドをリムランドで抑え込めば良いんだという理論を打ち出していた。
アメリカは海に隔てられているから攻めて来られる危険もないが、アメリカが海を越えてハートランドを攻めるのも困難なので、ユーラシアの海側にある国々と同盟していって、ハートランドの国を追い詰めれば良いんだという戦略だ。
これは実際アメリカが、ナチスドイツやソビエトに採用した作戦だ。
NATO(北大西洋条約機構)は見事にこの体制となっている。
プーチンはそれに対抗して、アメリカの西ヨーロッパにおける影響力を下げたいという政治的な方針を採る。

ランドパワーとシーパワーを19世紀の例で見てみると、第一次世界大戦が始まる直前、当時の大国であるイギリスがシーパワーの覇者として、ランドパワーの覇者であるロシアと、主にユーラシアを舞台に戦っていた。
ロシア帝国は、トルコを目指し、アフガニスタンを目指し、満州や朝鮮を目指していた。イギリスはそれを止める為に、クリミア戦争でトルコと同盟を組み、アフガニスタンでもインド人と組み、満州では日本と同盟して日本に戦って貰った。

これが第一次世界大戦終戦後にどうなっていったかというと、シーパワーの覇者というのがイギリスからアメリカに変わっていく。一方、ランドパワーの国というのは、ロシア帝国からソビエト連邦に変わる。この緊張関係が、20世紀を通じて冷戦として現れていると解釈することも可能である。

21世紀に何が起きているかというと、一つには中国の台頭。南シナ海や東シナ海で、ベトナムやフィリピンと領土問題で揉めている。日本の尖閣諸島問題もある。アフリカや中南米や南太平洋の国々に莫大な資金援助をして、シーパワーを得ようとしている。
中国は大陸に本拠地があるランドパワーの国なんだが、シーパワーも獲得しようとしている。
ソビエトは冷戦に負けて力が落ちたが、プーチン大統領によってロシアとして伝統的なランドパワーの国として復活している。
今は、シーパワーの国アメリカと、ランドパワーの国ロシアと中国というのが強大になっており、三つ巴のゲームになっているというのが、地政学における分析となっている。

ここで重要なポイントといえるのは、英米流の地政学を政策の参考にした多くの国々から、ロシアはずっと脅威として敵視されてきたという事実。

大陸系の地政学

ドイツ人の生物学者フリードリヒ・ラッツェルの著書『政治地理学』の中で彼は、「国というのは生き物みたいなものだ。生き物には生活するのに必要な土地、縄張りがある。実は国家もそういうものなんだ」という、国家有機体説というものを唱える。

国家の政治力というのは、その国家が所有する領土によって拡大されるが、領土というものに拘りを持たない国は衰退する。
国境というのは国家の生命力によって変動する。国が強くなると国境は広がるし、弱くなると国境は狭まる。
で、国家が成長して、その生命力が今引かれている国境線を越えると戦争になると、結論付けている。広がらないと生命力が維持できないから広がろうとするんだが、国際法上自分の国じゃないから、広がる為に戦争になる。

国家は生きている有機体なので、この活動への妨害というのは、基本的に自分たちを殺そうとしている動きなんだ。
だから、実力を行使してでも排除しなければならない。
国家には生きる権利があって、生命を維持する為にはその実力に相応しい縄張りを獲得しなくてはいけない。
この縄張りのことを『生存権』という。

これが、ナチスドイツがポーランドに侵攻した理論的なバックボーンになる。ドイツは自分たちが生きて行く為にはポーランドの獲得が必要だと感じ、防衛反応としてポーランドに侵攻したと、理論付けている。
…正直、へりくつとしか…。
このため、『地政学』は一時期忌避すべき学問といったイメージが付きまとうことになった。

この考え方が、スウェーデンのルドルフ・チェーレンという学者に形を変えて受け継がれた。
国家というのは自給自足しなければならない。生存権とは何かというと、一つの国家が生存していく為の物品を算出することのできる地域というものを確保しなければならないということ。
日本は基本的に確保できていない。地下資源がない為、石油や天然ガスが算出できず、エネルギーが自給自足できていない。(地熱利用すりゃ良いのに)

このことを踏まえて、ドイツのカール・ハウスフォーハーという軍人が、地球というのは基本的に四つに分割すれば良いという話をする。
・アメリカが支配する南北アメリカ地域
・ドイツが支配するヨーロッパアフリカ地域
・ソ連が支配する東欧とロシアと中央アジア
・日本が支配するアジアと東南アジア、オーストラリア
この四つに分ければ、全ての国が自給自足できるようになると提唱した。
その教え子の一人が、ルドルフ・ヘスというナチスドイツのナンバー2であった人物だ。ナチスドイツはこれを実現させようとしていたらしい。


ロシアにおける地政学

更に、この生存権を主張する大陸系地政学はロシアの地政学に影響を与え、ロシア国家が生存する為には必要不可欠な土地がある、ということをベースにした地政学ができあがる。

ここで改めてロシアという国を整理すると、実はロシア連邦には194の民族が存在している。この中で、自分のことをロシア人だと思っている人は、全体の78%。これに次ぐ民族が、タタール人というモンゴル系の民族で、531万人もいる。更にロシア域内に住んでいるウクライナ系の人が、193万人。その他にもイスラム教徒が大勢住んでいる。
ロシアというのは多民族国家・多言語国家・他宗教国家なんだ。
これをきちんと一つの国としてまとめ上げなければならないというのが、ロシア連邦に課された重大で困難な課題と言える。

ソビエト連邦が崩壊し、共産主義でまとまることができなくなった。ならば、次にロシア連邦の人々が何でまとまることができるかというと、第二次世界大戦でナチスドイツに勝ったことなんだ。
このファシズムと戦って勝利したというのは、ロシアが世界に誇れる人類に対する貢献だと言える。これは、ロシア人だけではなく、タタール人もウクライナ人もベラルーシ人も、みんな一緒に団結してナチスと戦ったよな!って、熱い同胞意識になる。
更に言及すると、だからロシア人は軍隊を好む傾向があり、外部に敵を必要とする傾向がある。ファシストと戦って勝ったということがアイデンティティになってしまうと、外に敵が存在しないと余り上手く機能しない。

更にソビエト連邦崩壊はもう一つ大きな負の遺産をロシアに残している。
というのも、ロシア系住民やロシア語話者といった人々が、ロシア連邦の外部に取り残されてしまったからだ。ウクライナ・ベラルーシ・カザフスタン・ジョージアに取り残されている。
そして、ロシア内部にも、タタール人・ウクライナ人、チェチェン人のようなイスラム教徒といった、非ロシア的な人々が取り残されてしまった。
外にロシア人がいるし、中にロシア人じゃない人がいるという、統治難易度爆上がり状態!

これに最初に方針を打ち出したのは、ロシア連邦初代大統領エリツィン。
彼は、西欧志向、西ヨーロッパのようになろうということを目指した。
アメリカや西欧諸国と協調し、価値や制度を取り入れて、ウェストファリア体制の中に組み入れて貰おうと頑張った。
だが、矢張りこれは困難であった。ロシアは全ての国を主権国家として扱うということに慣れていない。ロシア国内の人々は、「ウクライナやベラルーシの人たちに、本当に主権なんてあんの?」って不穏になる。
更に、西欧化を指標とする限り、ロシアは西側諸国の後を追い続ける格下の存在としか見られない。劣った後進国、劣った二流国と常に見られてしまう屈辱が付きまとう。20世紀の間は、アメリカと渡り合う二大超大国だったというプライドがあるだけに尚更。
それに、タタール人の支配思想も根強く染み込んでいるし、他民族も抱えているんで、西側諸国と交わっていくというのは、矢張り難しかった。

更にロシアは、東欧の衛生諸国である東ドイツ・ポーランド・チェコスロバキア・旧ユーゴスラビアの諸国にどれぐらい深く恨まれているかを分かっていなかった。
つまり、ヨーロッパに近付いていったところで、やっと恨まれていることを自覚した感じだった。そこで、この路線はヤバいとなる。

そこで出てきたのが、旧ソ連への復活を目指す帝国志向だった。
これは民族主義的な政治家が支持していた。ロシア連邦外に取り残されたロシア人も、ウクライナ人もベラルーシ人も全て、大元はスラブ系民族で、ロシアの主権の元に管理されるべきだという考え方だ。
国際的に認められた国境を無視して、歴史的な民族としてまとまるべきだという、かなり乱暴な主張。これはドイツ初の大陸型地政学の生存権の考え方も取り入れたものだろう。
これを唱えたのがアレクサンドル・ドゥーギンという人物で、プーチンにとても大きな影響を与えたと言われている…が、本によっては、そこまで影響与えてないんじゃないのって疑問を呈するものもあって、微妙なところではある。


プーチンの考え方、大国志向

西欧に近付いていこうという考え方と、ソ連時代の帝国主義に戻ろうという考え方が出てきたわけだが、プーチンが三つ目の大国志向を打ち出す。
西欧化には失敗したし、周辺諸国を再び統合してソ連時代に戻ろうというのも正直無理だと、プーチンは考えた。
だが、旧ソ連諸国に対して、ロシアが強い影響力を持つっていうのは維持するべきだと考えている。
その結果、NATO(北大西洋条約機構)やEU(ヨーロッパ連合)に、旧ソ連諸国が加わって拡大していくのは、阻止しなければならないという考え方に落ち着く。


ロシアが抱く、歴史的恐怖

なぜNATOやEUの拡大をそれ程恐れるのかというのは、ロシアが侵略された歴史を辿ることで理解できるかもしれない。

ロシアは外敵の侵攻を阻止する為に、ロシアの周辺地域を、ロシアの勢力圏という事実上の支配下に置くことによって、ロシアの周囲に緩衝地帯を作ることを基本戦略にしている。
更に、物資を大量に輸送できる海上路を確保する為に、冬場も凍結しない港、不凍港を求めて、必要とあらば外国に侵攻することも、伝統的に行なっている。これが、ロシアが南下する理由。

西側諸国からすると、これは過剰な安全保障だと感じてしまうレベルだろう。だが、ロシア側からすると、全然過剰じゃないと、寧ろ足りてねえぐらいの感覚らしい。

ロシアの防衛基本戦略は13世紀から15世紀にかけて確立したものだと言われている。タタールから侵略された少し後だ。
一度ぼこぼこにされたモスクワ公国が何を考えていたか。
モスクワ周辺というのは、とても守るのに不適当な場所だった。
国の近くに山や川や海があると、守りとして使えるんだが、モスクワ周辺はだだっ広い森林地帯だった。タタールに東側のウラル山脈を越えられてしまったり、ヨーロッパ側からだと北ヨーロッパ平野を突破して来られてしまうと、もうモスクワを守るものが何もない。
唯一モスクワを守ってくれるものが、『冬』。ナポレオン軍を阻んだ冬将軍は有名だよな。森林に囲まれているから、進軍スピードが落ちている間に寒さでやられてしまうという。
だが、暖かい時期には無防備で、モスクワは容易くボコられていた。

歴史的に誰にやられてきたかというと、まずはタタール、次いでドイツ騎士団という中世の十字軍(ロシアのことも異教徒扱いして攻め寄せてきた奴ら)、そしてナポレオン軍、とどめにナチスドイツ軍。
この、ロシアとナチスドイツの戦いは世界史上最大の戦死者を出したと言われている。民間人の死者を入れるとソ連は2000〜3000万人が死亡し、ドイツは約600〜1000万人が死亡した。大量の犠牲を払って、ロシアはナチスドイツを打ち払ったのだった。

ロシアの基本戦略は、被害妄想というわけではなく、実際に侵略を受けたがために、守りやすい地形まで広がらないといけないという戦略に基づいたものだった。
これで、東はウラル山脈、南はコーカサス山脈やカルパティア山脈、西は北ヨーロッパ平野の制圧を目指すようになる。

ウラル山脈


コーカサス山脈


カルパチア山脈


北ヨーロッパ平野
(オランダ/デンマーク/ドイツ/ベルギー/ポーランド)


これらが、モスクワ大公国の成長と共に、じわじわと達成されていく。
まずは、ウクライナやベラルーシを支配下に置いてヨーロッパからの侵略経路である北ヨーロッパ平野を制圧し、更にキプチャク・ハン国というタタール国家から独立を果たして、巨大な版図を築くことに成功し、ここで初めて東ローマ帝国の後継である第三のローマを名乗ることができた。そして、ロシア帝国という大国としてのし上がることが叶った。

イヴァン雷帝の時代には、東側にも拡がっていくことによって、モンゴル系民族が入ってくる場所を潰した。このことによって、ロシア帝国の防御は完成した。

…だが、完成してもまだ不安だった。
そこで、防御ラインの外側にも勢力圏を築こうとする。
敵が攻めてきたら、防御ラインの外側の緩衝地帯で迎え撃って、危うくなりそうなら内側に引っ込むという戦略を目指していた。
その為に、シベリアにも拡がるし、黒海方面のクリミア半島にも拡がった、あとはコーカサス地方という黒海とカスピ海に挟まれた地方も支配下に置く。

このように自分を守る為に拡がっていくんだが、様々な問題が起こる。
まずは、征服した異民族を統治しなければならない。更に、国境線が拡がれば拡がるほど、周りに敵が増えていく。そして、自分を守るコスト、軍事費が増えていく。
更に、海上輸送はコストが低いのに、陸上輸送というのはインフラ整備を必要として、もの凄くコストが掛かるという大陸国ならではの負担がのし掛って来る。
俺が推測するに、これが、ランドパワーとシーパワーの、現代に於いても通用する切実な実態。空輸があると思いがちだが、重量物を運ぶのは無理だし、現代だと、海底ケーブルとか海底資源とかまで関わってくるので、尚更、シーパワーへの渇望度合いが増していると思われる。

結果として、自分を守る為にでっかくなったわけだが、その為に滅茶苦茶カロリー消費するってことになったわけだ。
このカロリー消費を抑える為の唯一の作戦というのが、海洋進出!
ロシアの初期設定として気の毒だったのは、凍らない港がないということだった。不凍港を手に入れる為に、絶対によその国を侵略しなければならないという状況になっている。この戦争の歴史=ロシア帝国の拡大の歴史となっており、ロシアの南下侵略政策というものはもはや伝統となってしまっている。

その結果、前述のシーパワー国家イギリスとの対立が必然的に生じた。
更に南西側ではバルカン半島に進出しようとして、第一次世界大戦への契機になっていく。

バルカン半島

その結果、ロシア帝国は崩壊し、看板を掛け替えてソビエト連邦が誕生する。ソビエト連邦も地政学的な戦略は同じで、ロシア帝国が既に得ていた緩衝地帯としてのウクライナやベラルーシがあったわけだが、更にポーランド・チェコスロバキア・ユーゴスラビアといった社会主義国を衛生諸国としてヨーロッパに配置して、更なる緩衝地帯として二段構えの防御としていた。NATOから見ると、モスクワが相当遠いということで安心できていた。恐らくプーチンはこの時代に戻りたいのだろう。
ロシアは絶対的な安全保障を欲しがる傾向がある。西側からすれば過剰防衛としか思えないのだが、ロシアからすれば歴史的に幾度も攻められてきた恐怖がある為、このぐらいしなければ安心できない。

対して、西ヨーロッパの方はというと、二回の大戦を経て、けっこうぐちゃぐちゃになってしまった。中心国家であったドイツとフランスというのがずっと戦っていた為、消耗が激しい。そこで、もう戦争しないような枠組みを作ろうぜ、という話になる。これがEUの前身である欧州石炭鉄鋼共同体で、フランス・イタリア・ベルギー・オランダ・ルクセンブルグ・西ドイツが1951年にパリ条約に調印することで発足した。それが七回拡大して、28カ国にまで成長してEUとなり、その中での戦争は御法度となったわけだ。ロシアからすれば、これがまた脅威に映る。そしてこちらでも冷戦が生じてしまう。

とりわけロシアにとって大事なのは、冷戦時代に獲得した獲得した不凍港を奪われないこと。具体的には、ウクライナのセヴァストポリ港と、シリアのタルトゥース港の二つ
セヴァストポリ市は国連上ではウクライナの都市となっているが、実効支配しているのはロシアである。そして、2015年にシリア内戦にロシアが介入する形で、タルトゥース港はロシアの海軍の海外拠点となっている。

ロシアは緩衝地帯確保の為にも南下政策を続けていて、1969年に中国と紛争している。更に、アフガニスタンとも戦うんだが、CIAに支援されたアフガニスタン側が頑強に抵抗した為に、ソビエトはアフガニスタンの侵略を諦めるしかなかった。前述のチェチェンでも紛争が起きているし、2008年にはジョージアで、南オセチアとアブハジアという二つの地域が分離独立しようとして、ロシアはこれにも介入。(その結果、グルジアはロシアと対立し、ジョージアとなった。)2014年には、ウクライナ侵攻の直接的な発端となっているクリミア併合が行なわれる。

このようなことがなぜ行なわれていたかというと、2013年9月にオバマ大統領が「アメリカは世界の安全を守る責任を果たさない」と宣言したことが大きい。冷戦以来アメリカが続けてきた世界の安定への貢献には限界があると、突然表明した。
そうすると、中国がシーパワーを求めて南シナ海東シナ海で活動を活発化し始める。これが日本では尖閣諸島問題として取り上げられている。
中東では不安定化して、シリアは内戦に突入したり、イスラム国が登場したりする。そして、ロシアの南下政策も激化する。

ロシアという国は、伝統的にヨーロッパという脅威に対処しなければならないという強迫観念に見舞われていると言っても過言ではないだろう。
ドイツ騎士団から始まって、ナポレオン、プロイセン、ナチスドイツ、そして直近ではNATO北大西洋条約機構。
NATOがロシアを更にビビらせているのは、味方だったはずの東欧諸国、ポーランドやバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)までもNATOに参加してしまったことだ。
ロシアからすると、緩衝地帯直前までNATOが出てきているように見えている。ベラルーシはロシアに協調的な路線をとっているが、ウクライナはロシアから離れようとしている。ウクライナまでNATOに加盟してしまうと、緩衝地帯の一部が剥ぎ取られてしまうということになる。
俺からすると、そもそも、侵略行為というものは国際法で禁止されているので、どれほどNATOが迫ろうとも、ロシアが侵略されるということはないと思われるんだが、現行で自国が侵略行為を続けている側とすればいくらでも疑心暗鬼に陥ってしまうのかもしれない。

一般的理解では、冷戦終結はロシアの戦略的敗北だと受け止められている。ロシアが持つ地政学的な条件を、ロシアはきちんと理解せずに、無限に拡大しようと実行不可能な戦略を推し進めた結果、敗北してしまったと理解されている。
ロシアからすると、西側とはずーっと戦争をし続けている感覚がある為、攻撃は最大の防御というのが当り前になってしまっている。
結局のところ、主権が認められるのは強い国で、弱い国の主権を認める必要はないという、西欧諸国の意識とは相容れないスタイルができあがってしまっている。そして恐らくだが、日本はアメリカに従属する、主権のない弱い国だと見做されていることだろう。

ソ連崩壊後、ロシア周辺国の挙動

ソビエト崩壊以後、かつてソビエトに所属していた共和国はロシア共和国に対して三種類の態度を取った。
一つ目は、ロシアへの協調路線を取ったカザフスタン・ベラルーシ・アルメニア。
二つ目は、ロシアから距離を取って中立的な振る舞いをした国で、ウズベキスタン・トルクメニスタンという国。
三つ目が、NATOやEUへの積極的な加盟を目指した国で、これがウクライナやジョージア。そして、この二つの国は、2000年代以降、ロシアに攻撃されている。緩衝地帯である周辺国は、味方として留めなければならないという、脅迫観念めいた歴史的伝統に基づいた行動だと分析される。

だが、誤解してはいけないのは、ウクライナに対するあからさまな侵略行為というものは、明確に一線を越えてしまっていることだ。
直前までのクリミアやジョージアに対して行なった行為は、主権を侵すという意味ではウェストファリア体制側の西側諸国も同様のことを行なってきている。イラク然り、アフガニスタン然り、ユーゴスラビア然り。
ただ、領土侵略を目的とした戦争行為に出るのは、第二次世界大戦以後、初の出来事なんだ。この違いは大きい。














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