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文武

「文武」と言うことばが好きだ。


文が武を育て、武が文を育て、人格が形成されると共に、知識が叡智へと育ってゆく。


松代真田には「文武学校」があり、藩士には文のみ武のみと偏ることなく、それらを包括する教育が行われた。


その心に倣い、私の道場も「錬誠館文武道場」と名づけている。


私の書はガタガタだが、師の法印は山中で焚き火をした後の消炭を清水に溶かし、生木の枝の先を石で砕いてハケ状にし、河原の石に見事な経文を書いたものだ。


書と言うものは、元はこうしたものだった、と相変わらず言葉は少なく、その奥の意味までは測り難かったが、非常に印象に遺る一場面だった。


その時に感じた気韻と言うか、身体遣いや息つかいは、剣にも通じ、棒にも通じ、歩くにも通じる「文武」の姿だったのだな、と今になって思い出す。


まあ傍から見れば、乞食坊主が河原でなにやらやっているのを弟子だか息子かが眺めている、ただそんな風情なのだが。


あの日が、いまここの心に繋がるのかと、文武道場で少年少女達に剣を伝えるなかで、不思議なような懐かしいような想いだ。

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