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真田の御馬廻衆

三月おついたち

駒ヶ嶽の社に参拝し、寳前に神酒を捧げる。

同行の仲間と暫しの歓談。

風が杉木立の雪を飛ばしてキラキラと✨

あなめでたや うれしや🤲

最近「伊与久」の家について、加速度的に色々解けてきました。

武田家が歴史の表から消え、織田家も本能寺で消えた
運命の天正十年間………わが祖、伊与久采女、伊与久孫五郎は真田の若殿、信幸公の近習を勤めていたのだと言います。

それも真田を代表する忍び名人・割田下総や、武勇無双の佐藤軍兵衛(折田軍兵衛)と共に御馬廻衆として影に日に真田様をお扶けしていたと言う話。

これ、私が先代から聞いていた話と概ね一致します。しかし「御馬廻衆」だったとは知りませんでした💦

それも今の割田家との深い御縁を考えると、不思議と腑に落ちてしまう。やはり我が家の忍術兵法は、割田・唐澤から来ているのであろうか。
割田家は「吾妻五田流」唐澤が「甲陽流」だったと聞いているが、なにか書き物でも出てこないことにはハッキリとしたことは言えませんなあ………

また、伊与久本家には昔『秘術之巻』があったらしい。
これも、多分あそこかな……と思い当たる場所がある。
今度探してみようかと思います。

あと、またひょんなことから、謎だった先代法印の足どりが見えてきそうな筋の話があったり………

今なんだか波が来ているな。
たぶん見つかるんじゃないかな……😳
そんな予感にドキドキしています🤲

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