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正義が空回りする

 自宅から阪急西院駅へ歩いているあいだに歩きながらスマホを触る五人の「ながらスマホ族」とすれ違いました。五人は一緒に並んで仲良く歩いていたわけではなく、それぞれ別の場所ですれ違ったから他人同士です、たぶん。
 
 僕は「ながらスマホ族」とすれ違うたび、わざとぶつかりにいくのですが、意外とこちらを目視せずに避ける人も多いですね。やっぱり僕の発する独特のオーラのようなものがそうさせるのかもしれません。まいったな。このオーラを纏っていながら何者にもなれていない僕は相当やばいんじゃないか。

 いや、むしろ、やばいのはやはり「ながらスマホ族」たる彼彼女らのほうであり、この場合の「やばい」には「good」のニュアンスは全くない。こちらを目視せずに避けることをしてまで目が離せないなんて何をしているのかしら。そんなに大事なことなら立ち止まってやるべきだろうし、逆に立ち止まる必要がないようなことなら身を危険に晒してまでする必要はないだろうし。※ちなみに「身の危険」とは僕たちその他通行人の「身の危険」である。

 近頃恐ろしいと思うのは、例えば、僕が「ながらスマホ族」に対して「危ないからやめなさい」と注意をしたとする。そうすると、世間の反応としては、どちらかというと僕のほうが「痛いおっさん」扱いされるところなのです。怒鳴ったりなんかしたらもう老害認定。講釈でも垂れようものなら周囲から嘲笑の的とされるのは僕のほうに違いない。ヤバイ講釈屋さんである。悪いことをしている人を注意することが、悪いことをしていることよりもやばいと見做される世の中って、間違ってると思う。
 
 実際に「ながらスマホ族」に注意をしたことはないですけど、注意しても本人には逆ギレされるだろうし、周りには嘲笑われるだろう。僕の正義はどうしたって空回りしてしまう。「ながらスマホ族」や周りで嘲笑う人たちの正義はどんな正義なんだろう。

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そんな僕のオープンしたお店の1人目の客になるっていう趣味について記録した著書『1人目の客』、二宮金次郎風に是非読みながら出社、登校してください。いや、ダメです、絶対ダメです。ながら読書もダメですからね。よければゆっくり自宅で読み進めてください。ネットショップ「暇書房」にて販売中です。

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