怒と努は似ている
洗い物や洗濯物干しの際、YouTubeに落ちてる「すべらない話」を流しながらやってるんですが、いま振り返ると、あかん話がけっこう出てくる。
当時から、これはあかんやろ、と思っていた話もあり、その話については近頃、SNSなどにもよく出てくるから最近見聞きした方もおられるかもしれない。性行為を断られた男性がカチカチに凍った鶏肉を女性に投げつける話。
どうしてあんな話をオンエアしてしまったんだろうか、という疑問はあるのだが、「すべらない話」というのはサイコロを振り、出た名前の人物がすべらない話を披露するというルールであり、この回、この話し手は終盤までなかなか順番が回ってこず、ようやく出たところに披露したのがこの話であったから、切るに切れなかったのかなーと当時、思ったような気もするし、後にそう思っただけだったかもしれない。いずれにせよ、話を聞いている他の芸人たちは笑っていたし、その場には女性の芸人もいたんじゃないかと思う。どういう気持ちで聞いていたのか。特に違和感はなかったのか。無理に笑っていたのか。
当時は笑っていたのに、いま聞くともう笑えない話もある。
お姉ちゃんの胸が触りたくて仕方ないから部屋に忍び込み、ベッドの下でお姉ちゃんが寝静まるのを待ち、眠りが深くなったところで触った話、同じ芸人が海外で、確かイギリスだったと思うが、少年のおちんちんを触る話、「うちの姉がレズです」というフレーズで笑いをとっていた芸人もいた。
こうした話が「すべらない」とされていたのがまだ十数年前です。めくるめくスピードで時代は進んでいるから、年寄りはなかなかついていくことができない。私は今、もう笑うことができなくなってしまっただけ、まだついていけている方かもしれない。
ついていけなくなっても怒ってはいけない。
ついていくよう努めなければいけない。
怒と努は似ているけど間違ってはいけない。
若者に迎合せねばならないわけではない。
己を完成させず学びを続けねばならない。
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