見出し画像

めんどくさい生き方

 オープンしたお店の1人目の客になる私の趣味について京都新聞さんが記事にしてくださり、おもいのほか大きめの記事であったこともあり、ありがたいことにそれなりに反響を頂戴しています。
 職場の同じフロアで働く方たちに「見ましたよ、京都新聞」と言っていただいたり、さきほどは夜道を歩いておりますと、ご近所さんがすれ違い様に「京都新聞掲載おめでとうございます」と声を掛けてくださいました。うれしい。普通にうれしい。

 さて。
 翻って私は他人の快挙(というのは私の場合言い過ぎな気もするが)を素直に喜べているだろうかということも考えてしまいます。
 例えば、職場の同僚が同じように、何かしらの活動について新聞に取り上げられたら「すごいね!」と喝采を送ることができるだろうか。いや、しかし、先に取り上げられている私が「すごいね!」などと言えば、ひょっとしたらイヤミに聞こえたりするんだろうか、いかんいかん、そういう余計なことを考えてしまうから、初期衝動のままに褒め称えるということができなくなるわけです。すごいと思ったなら、そのまま「すごい」と声を掛けることができる人でありたい。

 声を掛けるといえば、先ほどすれ違ったご近所さんは、私に気付いて声を掛けてくださったわけですが、これまた私は少し苦手なところがありまして。遠くから知り合いがやってくるのを確認しておきながら、こちらから声を掛けることを躊躇してしまうことがあるのです。なんとなく、逆に向こうが私に気づいて声を掛けてくれるのを待ってしまったりする。こちらから声を掛けて、つれない態度だったり、あるいは無視されたりしたら悲しすぎるから、その悲しみを未然に防ぐべく、こちらから声を掛けないのです。(SNSでも誰の投稿に対しても自然にコメントできる人が多いですが、あれも私は返事が返ってこなかったりするのが怖くてよほどのことがなければこちらからコメントをしたくないのです)

 そうやって、逆に声を掛けられ待ちしているのに、残念ながら声を掛けられないまま、すれ違ってしまうこともよくあります。気づいていないだけかもしれないし、向こうも声を掛けられ待ちしているのかもしれない。結局、ああ、素直に声を掛けておけばよかったと後悔する、という実にめんどくさい生き方を四十四年続けてきました。人付き合いというのは難しいものですね。無理なく自分のやり方で生きていける環境を整えていきます。

#note日記 #日記 #コラム #エッセイ
#蠱惑暇 #こわくいとま

京都新聞にも載った!オープンしたお店の1人目の客になる趣味をまとめた著書『1人目の客』はネットショップ「暇書房」でご購入いただけます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?