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鋲のお話

12年前の10月8日に、「A列車で行こう」というJR九州の観光列車ができました。
8年前に、その時の話を書いていました。

「或る列車」運行開始から2ヶ月。「ななつ星」はもうすぐ2年です。
でも今日はそのふたつではなく、熊本〜三角間を走る
「A列車で行こう」のお話を。

4年前の今日、「A列車で行こう」は運行を開始しました。

鎚絵は「あそぼーい!」よりJR九州「D&S列車」に参加していますが、まだまだ最初はほんの少し、パーテーションや手摺などわずかな箇所でした。ただその時に「次のがあるから、次は大変だよ」と言われたことはよく憶えています。それがこの「A列車で行こう」でした。

その製作の様々は後ほどまた見ていただくとして。そもそも「A列車で行こう」の外板には印象的な鋲を模した意匠が書き込まれていました。そうしてその鋲ディテールが会議では問題に。

もちろん、プレス成型すれば出来る製品です。
けれども列車は窓がありドアがあり、様々な外板のパーツを複雑によけながら、鋲を整列させる必要がありました。「同じパーツでないのに、金型なんてつくれない」「新車外板をつくる費用ぐらいかかる」と。

当時まだまだ末席に座っていた我々は「たいへんだな」「すごいな」くらいで他人事のように眺めていました。

その会議から2週間ぐらい経ったある日、鎚絵直上の会社の方から電話がかかってきました。

「唐池社長(当時)がなんとかしろ言っている」

「この列車の印象を決める重要な箇所だと」

「で、なんとかなる?」

「え?ウチでですか!」

他人事じゃなくなった途端に、とても焦りました。
上記の通り、工業製作としてはかなり難しい。

ホンモノの鋲を打つことを考えましたが、重量の問題はもちろん、もう内装も作業に入っている時期でしたから、鋲の裏側にアクセス出来ないという、最大の難点がありました。

やはりプレスしかないという判断の中。

我が社の社内でも「出来るって言っちゃったの?」という感じでした。

グズグズ不安でどうしようもない状態、でも外装の塗装リミットまで3週間を切ったある日、本社設計の南里くんから電話がかかってきました。

「パンチャーのコマを削って圧力調整したら、何とかカタチになりそう」

「パンチャー」とは紙に穴を開けるパンチと同様、オスとメスの型があって、それでプレスすることで、金属に穴を開ける機械です。紙とちがうのは様々な厚みや材質の金属に穴を開けるため、トンの圧力をかけるのと、圧力と素材に負けない「コマ」をつかうところです。

その「コマ」の刃物になっているオス部分を丸くボウズに削り、メスコマとのクリアランスを大きくすることで、穴が開くギリギリのところでボウズ型を押し出してみたとのこと。

「これであれば一個ずつ型を押せるから、微妙な寸法の変化にも対応できる」と。そうして送られてきたのが本写真のサンプル。

パンチャーのコマもこの大きさになると安いもんじゃないのに、やっちゃったなあ本社製作。と、思いました。

航空便で東京に送ってもらって、イメージがわかりやすいように金色で塗って地下鉄内でその解説を書いて、夜10時半すぎにドーンデザイン研究所に届け、承認にこぎつけました。

南里くんはドーンデザインのデザイン画と国鉄の設計図書と向き合い、パネルの構成と鋲意匠のピッチを割り出しました。

そうして百十数枚におよぶリベット意匠パネルをなんとか納めることができました。

出来てしまったものを見れば、なんのこともない成型品にみえるかもしれないです。けれどもこのボウズ型はいま見ても焦った当時を思い出させてくれて、何ともかわいらしいなあと思うのです。


試作サンプル

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こんなことを書いたことすら忘れていたのですが、副都心線の列車の中でこれと同じようなサンプル(書いてあるとおり缶スプレーで金色に塗った)をクリアファイルに挟んで、そのクリアファイルに圧力の違い、コマの違いをマジックで書いて、ドーンデザインのスタッフ(確かYくん)に渡したのはフッと思い出しました。
確かドーンの承認は翌日にすぐもらったのだけど、その時点で設計の南里くんはほぼこの「鋲外板」の図面を書き終えてたんじゃなかったかな。

完成お披露目まで3週間とか、そのぐらいギリギリだったように記憶しています。

正直、ほんと出来ない間に合わないが怖かったことはよく覚えています。でも、「ちゃんと向き合って考えれば、きっと答えは出る」ということを僕の中で確信させてくれたのもこの仕事が始まりだったんじゃないかなあと思えます。


A列車で行こう:臼井敬太郎撮影


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