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間に合わない。今はカネだ。【2010年6月6日】

「世界を変えるデザイン展」観てきました。予想を遥かに越えて、良いものでした。思うこともたくさんあったり、確かにひっかかる所もあったけど、
自分なりにはちゃんと見えるものがあった気もしています。
オープニングだったから、柳本さんと話せたのも良かったと思います。

さてところで、大きなことを言えば、災害の時。
日常で言えば、大切な人が病気の時。
僕のような職業は、なんて無力なんだと、いつも思います。
医者なら良かったと、本気で思ったことも何度もある。

でも、ふと考えた。
大切な人が病気の時、デザインが無力なことはよくわかってる。
けれどももし病気になった時のために、快適なベッドや、パジャマや、氷枕は、
つくれるんじゃないかと。

つくらないといけないと思う。それがデザインなんじゃないかと。


最近、口蹄疫のことでたくさん考えました。
コンビニに行く度に、僅かだけどチャリンってしてる。
今僕に出来ることはこの位しかないから。

でも、ふと、自分のことは棚において悪いけど、デザイナーや建築家は、
何やってんだろって思いました。
確かに今はお金です。間に合わないから。
多くに知ってもらい、賛同を得る活動を続けないといけない。
でももし、10年後に再発した時、今の出来ることと同じことしか出来ないようじゃだめだと思う。

被害が拡大しない牛舎。効率的な散布のできるシステム。隔離と共存ができるランドスケープ。

デザイナーや建築家が、考えないといけないことなんじゃないかと。
たとえ、今間に合わなくても。

柳本さんから、「韓国は肉文化だから、その点はかなり進んでるんですよ。」と、
教えていただきました。「誰が」進めたのかは聞きそびれたのが心残りです。


多くの仕事は、「援助」をするためには、一度「金銭化」しないといけない。
歌手だって歌って、絵描きだって絵をかいて、稼いだお金で援助をする。

でも、デザインは違う。
デザインは問題に、直接インパクトを、与えることが出来るはずだ。

世界を変えるデザイン展にはその種がたくさんあった。
デザインの真価とは、そうあって欲しい。
100年ちょっと前までは、デザインはそうやって様々を牽引し、世界を変えてきた。
10年後にもし同じ災害がおきたら。起きた時のために、
起きないようにするために、
ちゃんと考えたい。医学や技術に任せていては、
本当に殻だけが、デザイナーや建築家の役割になってしまうよ。

クリエイトという言葉を、せっかくもっているのに。


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正直、年末からすごく落ち込んでいます。
東京に行って一年目に出会った須田さん。
最初は全然、ただ面白いお店をやっている人、でもやたら蔵書は多い、そんな人だと思っていました。でもそれだけじゃなかった。

これ、おそらく見てない人の方が多いと思うけど。

13年前の狂牛病→BSE→口蹄疫。
須田さんの「献身」を知ったのはこの時が初めだったと思います。
「本当に壊滅的な被害を受けている人たちがいるんですよ」って。

正直、この時に、僕は自分のためにだけ生きているんだと思い知った。
牛肉食べなくなったしね。
自分が「避ける」「逃げる」の方が強かったんです。

須田さんはそんな中で、自分が他人のためにできることをちゃんと探し、見つけていました。

そうしてその後、東日本大震災があり、「きぼうの缶詰」という伝説が生まれました。

もちろん、現場で体を動かすボランティアも今後は重要になってくると思います。
でも、ものづくりに身を置いている僕は、もっと別の「献身」を考えることができるのではないかと思います。
須田さんは「作家」「編集者」「クリエイター」のプロとしての手腕を直接的なインパクトとして「支援」に捧げたから、大きなうねりを生み出したんだよね。

正直、いま仕事はめちゃくちゃ忙しくて、本当にやり切ることができるのか不安なぐらいです。しかし、つくっているものは「日常の中にあるクリエイト」。
非常時には何の役にも立たないものばかりだよね、と、災害現場で働く方々の映像を見て暗澹としたりします。

きっと本当は誰も無力ではないはず。ただ普段は日常の仕事に流されて、非常の中でちゃんと「プロとしてできること」への応用ができないから切り離して考えちゃうんだと思う。だからちゃんと、考えられるようになりたい。

須田さんがいなくて寂しい。教えを乞いたい。馬鹿話したい。
「それ僕できます!」って手を上げたい。

でももちろん残されたものとして、同じように考え行動できる人間になりたいとは思うけど、ちょっとまだ今は無理だな。こんなにポッカリしちゃうんだ。







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