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マーゴットロビーの華麗なる覚醒

いやはやすごいな「バービー」

「バービー」観ました。マーゴットロビーは「プロデューサーでありながらも自分で主役をやるとは全く思わなかった」と語っていますが、個人的な見解ではマーゴットロビー以外で誰ができるんだ?という感じです。
もちろん、バービーになれるブロンドの女優さんはたくさんいると思います。
でも今回これはマーゴットロビーしかなかったよなあと思います。

人形でない違和感

実はYouTube予告編を見た時から違和感を感じていました。もちろん美人で背も高くて足も手も長いマーゴットロビー、バービーとしての「見た目」は申し分なかったです。でも「バービー」と考えると何か違うというのもずっと感じていました。
本編を見終わって、色々考えて気づきました。
マーゴットロビーは表情がありすぎるんです。当然表情の変わらないはずの「人形」との違和感はそこでした。でもそこがこの映画にとって重要なんだと気づいたのでした。

ところで「DOLL」の語源知ってる?

僕も今、調べたところです。
結構時代は浅く、そもそもは「ドロシー」の愛称として遣われ始めたとのこと、

読んでみるとかなりひどいです。フェミニスト大激怒の内容です。で、「人形」という意味で遣われ始めたのは17世紀後半ぐらいではないかと。
そういうDollとしてのBarbieを考えると、マーゴットロビーの溢れんばかりの表情が最初からDollを飛び越えてしまっているのではないかと思えるのです。

美人という弱点

マーゴットロビーの最大の弱点は「美人であること」だと思います。古今東西この弱点は付きまとう。もちろんこれは武器でもあるんですが、その容姿によって実力を過小評価されることは少なくありません。
アメリカナンバーワンのセックスシンボルとなったマリリンモンローは、全く演技を評価されず、映画会社から同じような役ばかりをさせられることに不満を持って自分のプロダクションを作った上で自らはアクターズスタジオで演技術を学び直し、「バス停留所」で素晴らしい「女優」として開花しています。
ヴィヴィアンリーはマーロンブランドに当初綺麗なだけで演技などできないだろうと毛嫌いされていたけれども(もちろんその嫌悪感が映画全体に緊張感を与えた)それまでの自らの美貌を否定しその鬼気迫る演技は結果的にアカデミー主演女優賞を受賞するに至りました。

でも、本作のマーゴットロビーにはマリリンモンローやヴィヴィアンリーの様な「鬱積したあがき」を感じることはありませんでした。美人である「弱点」も笑顔で易々と乗り越える。なんだかそんな感じを受けました。
劇中「私は定番のバービーの様な美しさはないのよ!」と叫びつつ、「マーゴットロビーが言っても説得力がない」とナレーションするところは最高です。
(記憶だけなんで言葉間違ってたらごめんなさい)

満面

人形であることも、所有物であることも、人間になることも、女性になることも、マーゴットロビーは満面の表情を持って乗り越える。そこにはマリリンやヴィヴィアンの様な暗さは全くない。
ブロンドのバカっぽいイメージってこんなでしょ?って、フェミニスト映画の様なふりをして、保守どころかフェミニストをも刺すようなことをどんどん盛り込んで、保守にもフェミにも怒る人たちがたくさんいて、でも見た目は娯楽映画で、という構造。
でもこの映画の笑いはどこかの記事で見かけた様な「シニカルな笑い」でもない気が個人的にはするんです。

白か黒か、いや、ピンク!

「保守とフェミ」という対立構造を今かいたけど、現代って対立構造ばかりで本当に余裕ないですよね。「原子力」やら「ワクチン」やら「マスク」やら、SNSはもちろん現実社会の中でもその対立構造がめちゃくちゃ増えた気がします。
で、この対立構造って絶対に中和されない、された試しがない。と僕は感じています。ギスギスして攻撃する。わざわざ自分から見に行って怒る。どっちでもいい人に対しても白か黒かを迫る。

こんな余裕のない世界が何年も続いている中でいきなり投下された「ピンク」。

誰に対してもマウントを取らない「Doll」として人間よりも下の立場を形成し、「見た目重視のブロンド娘」のフリをして、様々な人たちの様々な逆鱗に触れるフックを「やりたいようにやっているだけ」という純粋さで撒き散らす。
「白か黒かでギスギスした現代社会が馬鹿馬鹿しくなる」というメッセージをこの映画は持っているんじゃないかと思いました。

「だって笑ってる方が楽しいし、素敵だよ」というのが、現代の世の中の、ありとあらゆる問題に対してのマーゴットロビーの解答なんじゃないかと思えるんです。
しかもこの笑顔の強さって、やっぱ本当に演技としてもプロデューサーとしても実力をつけた、操り人形でないマーゴットロビーだからこそできるんじゃないかと。

誰も言及してませんが、多分言ったら怒られるからなんですが、よくよく考えると32歳でバービーやるってのは無理があるよなあと思います。でも10年前のマーゴットロビー(ちょうどウルフ・オブ・ウォールストリート)では、「Doll」から抜け出せず、ただのバービーだったんじゃないかと思います。

個人的には10年後に「Barbie2」をつくってほしいです。「42歳、流石に無理があるやろー」という世間の声を軽々と乗り越えることもきっとできると思うんですよね。



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