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2013年12月16日銀座。隣にいたじいさんが話し始めた。

「銀座の土地が高い、本当の理由を知っているかい?」

その年の暮れのことでした。なんか聖地やらなんやらで私は5丁目の「ルパン」には行かなくなりまして7丁目のとある雑居ビルの中のバーに行くようになっていました。そこでたまたま居合わせた、おそらく80の半ばを過ぎたであろうじいさんが私に話しかけてきたのでした。

ジャケットを羽織っていたけれども何処かしら小汚く見える風貌。歳にそぐわぬ黒く日焼けした肌と柄物のシャツが私を困惑させました。なぜママのいるスナックでなくここのバーにきているのか?生返事をしながらカウンターの後ろに並ぶダルマの瓶に目を向け、話を切るには次の一杯を頼むしかないなあと考えていました。

「ニイチャンはどこの出身なの?」「あ、福岡、、北九州です」
ああ、また悪い癖が出た。
北九州の人間は私を含め「福岡県出身」とは大体言わない。「北九州」と言い直す。女子アイドルくらいかな、北九州のくせに「福岡県」というのは。当然全国的に見て良い印象を持ってもらえることは少ないのだけど、「「フクオカ」「ハカタ」とは違う」という刷り込みの方が強いからどうしても北九州と答え直してしまう。まあしかしこういう夜の街の場合は「北九州」の方が向こうも「もしかしたらヤバイ繋がりがあるのかも」と勝手に思うかもしれないと、良いんだか悪いんだかの威を借りることもできる気がして、「北九州」と答えているんだと思います。

しかしこの時は具合が悪かった。

「お、そうなんか」と、そのじいさんは少し声を大きくしました。多分向かって右の八重歯あたりの歯がなかった。
「北九州どこなんか?」こうやって文字に起こすと喧嘩を売っているような見え方になりますが、至って北九州の普通の言葉です。もう少し下って筑豊の方に行くともっと語気が強くなりさすがにたじろぐこともあります。
でもこの時は聞き慣れた北九州のイントネーションでしたから、反射的に「戸畑ですよ」と答えてしまいました。ヤバイな同胞。この店もまだ来始めて数ヶ月なのに。このじいさんは常連なんかな?めんどくさい客なんかな?
ジンバックを頼むつもりでいたのにジャックダニエルをダブルで頼んで、早めにインプットとアウトプットの精度を下げておこうと思いました。

そこに来て最初の言葉。
「銀座の土地が高い、本当の理由を知っているかい?」でした。
本当は「銀座の土地たけえのなんでかしっちょうか?」でしたけど、書き起こすとなんだか分からなくなるので標準語らしくしました。以下も北九州の言葉は遣わず、標準語として思い出してみます。

余談ですが私は「全然方言が出ませんね」とよく言われます。これは実は私自身が気をつけていたからこうなったという、努力の賜物です。先に書いた「フクオカ・ハカタ」と「北九州」が違うというところに端を発するのですが、そのことはまた改めてお話しすることにしたいと思います。

「西銀座駐車場ってわかるかい?」

じいさんの話はそこから始まりました。「ええ、この間もそこに停めましたから」実は私は上京してすぐの頃に銀座で仕事をして、朝から晩まで停めて15,000円以上の駐車料金を払ったことがありまして。当時(2004年頃)はまだコインパークも硬貨のみ対応のものが多く、向かいのコンビニで千円札を崩しては100円玉を入れるような手間をかけましたから銀座の駐車に懲り懲りしたというところもありました。そんなことの後、「西銀座駐車場」の存在を知った時は驚きでした。12時間停めても三千円足らず、地上の狭い2台くらいしか停められない駐車場ならば1時間で精一杯の価格です。しかもとても長い。
しかしこのじいさんが今も運転しているのか?いやいやバーで飲んでいる時点でダメだろ?なんの話をしようっていうんだ。

「あれは知っての通り地下二階層、北東から南西に577mあるんだよ」
バカデカいと関心しただけの私はじいさんの口から「577m」という数字が出てきたことに驚きました。

「ここからは内緒だよ」

577m、それを実際の感覚として想像するのは難しい。しかしじいさんはその中途半端な数字を測ったように語り、続けました。
「あの駐車場は1963年、東京オリンピックの前の年に突貫工事で造ったことになってるんだが、馬鹿いっちゃいけない」「あのトンネルはその30年近く前、1935年には完成しているんだよ」「ニイチャンくらいの歳では岡田啓介と言われても分からんかな?」「ニ・ニ六事件で暗殺を免れた首相だよ。女中に紛れて逃げたとか色々言ってたけどな、東條にあれだけ噛みついた男も本当のことは話せなかったんだよ」

私はそこまで歴史に詳しいわけではないのですが、このじいさんの話が面白くなりじいさんのキープするオールドパーに氷と水を追加で頼みました。バーテンの岡本さんは少し嫌な顔をした気がしましたが構わずじいさんのグラスに氷を足してやりました。
「地下トンネルはね、皇居から国会、首相官邸と縦横に繋がっているんだよ。これはこの頃から今も同じで、岡田もおそらくはそのトンネルで脱出している、だがそれは最高機密だからね岡田も言えなかったんだろう」「でな、トンネルは今も歩ける日比谷から有楽町の地下道を通って、銀座の地下に辿り着けるんだよ」「首都にいる軍人が全員地下を通って銀座に辿り着けると考えて良いんだ」

そこであの真っ直ぐな地下トンネルだ。

「他の地下トンネルと違って西銀座の地下が整然とした直線なのはあれが通路ではなく、本土決戦の最後の守り、皇居の武器庫、そうして高射砲格納庫だったからなんだよ」

この「西銀座駐車場」はその長さ大きさに驚いたとともに、その土地の権利はどうなっているんだろう?とちょっと考えたことを私はふと思い出しました。オリンピックが世界規模の祭典とはいえ、調べると当時は50万台に満たない都心の車両台数の時代で、そこに現代の車の大きさで800台ということは昔ならその1.5倍の台数を停めることのできる駐車場は明らかにオーバースペックです。
おそらく敗戦後の元高官の人たちはこのトンネルの存在をGHQに隠して、オリンピックの際に初めて造ったフリをして、ようやく公にしたのではないか?

でな、ここからが面白いんだが、西銀座駐車場には実は地下三階があるんだよ。

「1963年に造ったことになってるがな、確かに1963年に造ったものもあるんだよ」「71年生まれか、じゃああの時の感じはわからんだろうけれども、歴史の授業で聞いたことがあるだろう?キューバ危機ってのを」「あの時に日本のお偉いさんやこの銀座の金持ち達はすげえ焦ったんだよ。そうして作られたのが地下三階だ」「公営の駐車場が自分ところの足元を通るのにあのうるさい銀座の旦那集が何にも言わなかったのも、地下三階の核シェルターを地権者は優先的に使えるって取り決めがあったからなんだよ」「ついでに言うとな、あそこは出来た時から雨漏りが酷くてね。そりゃあそうさ、突貫工事の時に地下一階と二階の間に無理やり鉛板を埋め込んだもんだからコンクリートは隙間だらけなんだよ」
「でな、俺は他所モンなんだが、こうやってここに何軒かのビルを持てたからようやく数年前に・・・・」

ゲンさん。お兄さん困ってるからそろそろその辺にしてもらえますか?

普段あまり話さないマスターの岡本さんが急に話したので、私の方が驚きました。じいさんはちょとおどけた顔をして額を掻きました。とりあえず私も申し訳なく岡本さんに会釈しました。

長居したなあと思いながら、お勘定をしました。するとじいさんが私に耳打ちしました。「俺は他所モンの成り上がりだからさ、ここの旦那集には目をつけられてんだよ。内緒と言いながらこんな話をしちゃうからねえ、もう会えないかもな。でもなニイチャン、飲むならこっちの通りにしろよ、飲んでる最中になんかあったらどさくさで入れるからさ」「中央通りはガイジンにも貸すけど、ここの通りがこんな古ビルばかりだってのも合点がいくだろ?」

帰り道。


エレベーターを使わずに、急で窮屈な階段を三階から降りました。安っぽいレンガタイルと所々にタバコの跡が残る漆喰風塗装。
通りに出てみると、どこまでが店舗かわからない中華料理屋、シャッターが降ろされた老舗のケーキ屋、ギタービル。角を面取りした色とりどりの飲み屋の看板がギチギチに縦に積まれている。確かに言われてみるとこっちの通りは古いビルばかりで平成どころか昭和を感じました。
「もしもあのじいさんの話が本当なら面白いけど、でも、そんな複数公私が入り組んだような面倒を纏めることができるのかなあ、相当に能力がなければできないよ、まあまず無理だよね」と思いながら歩いていると、通りの角に吉祥天のレリーフが目に入りました。見返すと広目天も。

「そうか、それなら有り得るな」独り言が溢れたことを、よく覚えています。
そう、そこにあったのは旧電通のビルでした。

・・・・・後日談


2014年に不動産ビル大家と呼ばれた人物が脱税で逮捕されたニュースを見ました。
私がお会いしたあのじいさんかとも思いましたが、確信はありません。
でもなんとなく、「旦那集」と言うものの怖さを感じたのも事実でした。



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もちろん、フィクションです。
フィクションというよりは、僕なりのファンタジーです。














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