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作品をつくる理由2

こんにちは、小山ひときです。
今回は2022年8月から制作している暗室写真のシリーズ「結晶写真」を作る理由、エピソードを残したいと思います。

随分間が空いてしまいました。みなさまお元気でしょうか?
私はとても元気です!

今月は39度の熱を3日間にわたり体験し、夏のダイエットに奇しくも成功を収める。そんな日々を送っています。すごく痩せた気がしていましたが、冷静に考えると1週間で2キロ減。すぐに戻ってしまいそうです。コロナでもなくインフルエンザでもない、激しめ激情の夏風邪でした。みなさまもどうかご自愛くださいね。

マスク生活で免疫が落ちているんだろうか。免疫ってどうしたら強くなるんだろう?子供の頃、あまりに風邪を引かなさすぎて高熱に憧れていた自分に伝えたい。「憧れの39度は、つらいぞ」と。

あれ?前も書いてなかったっけ?

はい、書いてました!作品を作る理由については2019年8月にnoteに書きましたが、その4年後。2023年の現在、なぜ作品を作るのかを残したいと思います。


独自ドメインのウェブサイトができました

そういえば先日、やっと独自ドメインのウェブサイトができました。
https://hitokikoyama.com/
この中で、2022年8月から取り組んでいる「結晶写真」というシリーズ作品についてのエピソードを書いています。文章を整えていくと、エピソード用の言葉に書き換わっていきますよね。でもこのnoteでは、作る理由とともに「整える前の個人語りの言葉」でお伝えしたいと思います。整っている言葉って短く伝えるための推敲した言葉だけれど、そこから抜け落ちていくものがあると感じている為です。

「きれいな言葉」にしたら、大切な何かがこぼれ落ちていった

出す場所によって、そうTPOというやつに合わせて
言葉を整えなくてはならないことってありますよね。
でも、整えていて思うんです。

そのまま書いた言葉、うまくはないけれど
”自分の気持ちが乗った文章”はどこにいってしまうんだろう。

とはいえ「きれいな言葉」になっても全部自分の言葉だから、気持ちは乗っているのだけど。

なんというか、色々なことがうまくできない自分や、格好良くしきれなかった下手なことばの中にだけ残っていく”気配”みたいなものがあると思う。
少なくとも私にはその”気配”が感じられて、それが整っていく中で見えなくなっていくことが少しさみしくもあるので、今日はここにその”気配”の残った言葉を残したいと思います。

こんな作品を作っています

Crystal Photographs#15-1 秘めた想い 8x10

この作品について

私はアナログ写真の作品を製作しています。
2022年からは「結晶写真 -Crystal Photographs-」シリーズの制作開始。フィルムカメラで撮影した写真を使い、暗室で世界に1枚だけの作品を作っています。切り貼り等を行わず、暗室の中で石や植物などを使い、1枚の印画紙の上で写真を作り上げます。印画紙にフィルムカメラで撮影した写真を焼き付ける際に、偶然起こる現象が作品の重要な部分です。そのため、作品は2度と同じ姿になることはありません。

簡単にお伝えすると、暗室で写真の上に鉱石や葉っぱなどをおいて写真を焼いていて、それって手で配置したり砂をまいたりするから同じものって二度とできない。その偶然性が特別大切な意味を持っていると感じているよ、ということです。

この作品をつくる理由

この作品を作り出したのは、2021年11月に名古屋栄三越 ARTE CASAで開催した個展が大きなきっかけになっています。同年8月に開催した個展のDMを見て、ARTE CASAの担当者の方が声をかけてくださり個展に至ったのでした。

2021年11月に開始した個展の様子 名古屋栄三越ARTE CASA

2015年からポートレート作品を制作してきましたが、それは相手の生い立ちを聴き、こちらも生い立ちを話した上で組み立てる”被写体と私の秘密の共同作業”のようなもので、私はこの制作を非常に大切にしてきました。
それは撮影を通して、人が生きるということ、命の輪郭を確かめる制作となっていた為です。並行して町や風景を撮影するスナップも行っていましたが、これは考えるよりも前に指が反応して撮る瞬間的な写真であり”作品”だという認識はありませんでした。

ポートレート作品
スナップ写真


名古屋栄三越 ARTE CASAの個展が決まったとき、個展の構成としてポートレート作品のみでなく、スナップ写真も合わせて展示をすることにしました。当初、自分の中で交わることがないと考えていた2つの写真が1つの壁の中で構成されたとき「細い線のようなもので互いが繋がっている感覚」がありました。

ポートレート作品とスナップ写真は、どこか奥の方で繋がっている。

人の生きる姿は、目の前の人の生い立ちを聴き、こうであったらと願う架空の未来の姿を引き出してこなくても既に目の前の風景の中にあったのではないか。

美しいひとや風景に出会うとき、言葉にならない感情が立ち現れる。ひとや自分の内側と、目の前に広がる外側の世界、異なる方向を向きながら同じ「美しい」を内包しているのだと気が付きました。

秋の木の葉が落ちるとき、市場でだれかが買い物をするとき、あなたが私の目を見ているとき。そこに至る背景や理由が連なっている様子が目の前に広がっていて、私はそれを残しています。ここに至るまでの道筋を、在るべくしてそこに在る場面は命の風景だと思います。

この気づきをきっかけに、作品の区分けを自分の中で取り払い
ポートレートとスナップの中に見た「細い線」を紡ぎ、私の人生の中で忘れられない原風景をレイヤーとして重ねたものが、結晶写真のシリーズとなりました。

結局、ずっと言いたいことは変わっていない

長文になりましたので、短い言葉で改めて。
私が作品を作るのは、唯一、かけがえがないあなたの姿を留めたいからです。私も含めて、生きているってどういうことなのかを残したい。

同じ元素、同じ時、同じ種類の生き物であったとしても
ひとつとして同じものはない。
その姿が美しいという真実を残すことで
「こんなに美しくて唯一の特別なのだから、生きていていいんだ」という証拠を残していきたいから作品を作っています。その姿を私の目に見える形で作品にします。お互いがこんなに美しいんだから、尊重しあってお互いを大切にできらたらと、いつも思います。

どうせそのうち死ぬんです。
死ぬまで生きてるんですから、その美しくて不思議な生きてるっていう姿を自分にできる形で残し続けたいと思います。

あなたは、なにかを作りますか?
それはどんなものですか?なぜ、作りますか?

そんなことが伝わる、問いかけられるのが展示だと思っています。
また今後も個展を開催しますので
是非、そのときは、できれば私が生きているうちに
作品に出会いに来て頂けたら嬉しく思います。

それでは、また!

※ちなみに整った言葉のエピソードはこちら
https://hitokikoyama.com/works/crystalphotographs/




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