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イタリアンデザインの伝統を踏まえてない、「意味のイノベーション理論」

最近、R.ベルガンティが主張する「意味のイノベーション理論」に理論上の不備があるため、実務に役立たないのではないか、と考えており、拙著(pp.82-84)でも触れた疑問点を以下に記してみます。                             まず、R.ベルガンティが主張するデザイン・ドリブン・イノベーション理論の骨子である「デザインとはモノに意味を与えること」・「意味のイノベーション」・「テクノロジー・エピファニー」などは、イタリアの起業家らが実践してきたデザインマネジメントの実態を上手く捉えているとは言えないでしょう。というのも、優先デザインプロジェクトが立ち上がるまで、コンセプトに対してデザイナーが“かたち”を付与してきたのがイタリアの工業デザインの特徴であり、その起源はオリベッティ社にあるからです。B.クチネロなどのイタリアの起業家がこぞって尊敬するオリベッティ社で始められた“かたち”を巡る苦闘に言及せず、起業家・デザイナー・模型制作職人の三者間協業が「工業的なMade in Italy製品」誕生の母胎であることを指摘しないのは、イタリアのマネジメント論として不完全であると指摘できます―敷衍すると「工業的なMade in Italy製品」と「職人的なMade in Italy製品」との概念上の区別を行い、イタリア発の職人企業論の可能性を確保しておくべきであったと思われます。また、「デザインとはモノに意味を与えること」というのは、クリッペンドルフの定義であり、ほぼ百年あるイタリアのインダストリアルデザインの歴史に沿っていません。イタリアのデザインの特徴を把握するには、ドイツのウルム造形大学を率いたデザイン理論家であるT.マルドナードを通じて理解するのではなく、G.ドルフレースやE.フライテイリそしてA.ブランジィやR.D.フスコなどのイタリア人が記したインダストリアルデザイン論を参照すべきであったでしょう―というのもドイツの合理的なデザイン理論を乗り越えて出てきたのがイタリアのデザイン理論であるからです。さらに、ベルガンティは、成功しているイタリアの企業は、「製品の持つ情緒的かつ象徴的な側面を重視し、人々にとって製品が意味していることを革新・刷新している」としていますが、商品に象徴的な意味作用の次元があることは、イタリアの経営学では周知の事実であり、ことさらに主張すべき内容であるとは思われません―正確には、製品ではなく「製品の“外観(かたち)”が、ユーザーの様々な情緒を喚起しつつ、象徴的な次元を予感させる」とする方が、起業家らの実践に即しています。そして、イタリアのデザインマネジメントの最大の特徴をなしているグッドテイストな製品をデザインして人々のクオリティ・オブ・ライフを上昇させるという論点が抜け落ちている(イタリアのデザイン起業家らは、自分たちが提供するグッドテイストなモノを理解する公衆を育てるために―言い換えれば近代工業システム下において新たな室内の景観(インテリア文化)を創るために―ドムスやオッターゴノといった建築・インテリア雑誌を発刊するという文化事業を行ったことはよく知られています。要するにイタリア文化の基本美学であるテイストに言及しないことで、スタイリングの論理や、ラグジュアリーなものとの対比関係でデザインを捉えることに失敗していいます―イタリアのデザインを官能的で魅力的なものにする“日常世界の劇場化”という点にも言及しないので、イタリアのデザインの特徴も把握し損なっていると指摘できます。なお、イタリアのデザインの特有性は、第一に家具産業から導き出されるのであって、任天堂のWiiとチッテーリオがデザインした室内のトレーニング器械であるキネーシスを「テクノロジー・エピファニー」に該当する画期的な製品として同列に扱うのは無理があるでしょう―ルーチェプラン社のサルファッティが述べるようにイタリアはITに弱いのです。最後に、ミラノサローネに代表される国際見本市への出展戦略の意義を強調しないのも、イタリアのデザインマネジメントの特徴を捉え損なっていると指摘できます。

 かくしてベルガンティは、米国のデザイン思考(IDEO)と対局をなすイタリアのデザイン思考の特長をうまく説明できていないため、「意味のイノベーション理論」は、いずれ実業界から役に立たないものとして三下り半を突き付けられてしまうかもしれません。デザインディスコース(*)に関して比類なき価値を持つ本として、ベルガンティ自身が高く評価する「La fabbrica del design Conversazioni con i protagonisti del design italiano」Skira,2007(**)の内容をそのまま愚直に英語で紹介した方が、イタリアのデザインマネジメントの実態が世界に知られただろうに、と考えます。あるいはまた、Fraiteili,Dorfles,Argan,De Fuscoなどのイタリアのデザイン理論家の言っていることを踏まえて、イタリアのデザイン経営を語ればよかったのに、と思ったりします―これはベルガンティに限らず、ミラノ工科大の経営学部に所属する先生方全般に言える傾向です。Prof.デエラに会ったとき、ミラノ工科大におけるデザイン研究は、1.design as shape 2. design as engineering 3.design thinking(IDEO) 4. design as innovation of meaning、の4つに分かれると言ってましたが、イタリアの伝統は1番の「かたちとしてのデザイン」ではないかと私が言ったら、顔が曇っていました。自分たちの研究の独自性を出そうと思って無理やり4番の「意味のイノベーション」なるものを打ち出してきたと推測しますが、それはイタリアのデザインの伝統に沿っているとは言えないでしょう。イタリアンデザインの歴史では、「クオリティの高い美しいかたち」が決定的に重要です。テクノロジーさえ、この美しいかたちを実現するための手段に過ぎないことはB&Bを扱ったドキュメンタリー映画の中で建築家のレンツォ・ピアノも述べています。[B&B Italia. Poetry in the shape(日本語字幕付き). https://www.youtube.com/watch?v=DF2znHxhvTQ&t=325s&ab_channel=B%26BITALIAJAPAN  7分1秒頃]

(*)ディスクールといえば、F.フーコーの「言語表現の秩序」を思い起こしますが、デザインとディスクールを繋げてデザインディスクールという用語を作ることに意味があるとは思えません。デザイナーが起業家や模型制作者と対話している内容のことを単に指しているにすぎません。

(**)この本は、Kartell/Cassina/B&B社など、数十名に及ぶイタリアの著名な起業家が、デザインを活かしてどのように経営を行ってきたかを証言した素晴らしい本であり、本場のデザイン経営の仕方が分かります(拙著の第5章で詳しく紹介しています)。

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