誰にも嫌われたくなくて、苦しんでた過去の自分へ

今僕は26歳。社会人一年目。
高校生の時までは、とにかく八方美人の性格だったように思う。

自分は中学・高校男子校だったので、中高の友達は男子しかいない。まあそれは置いといて、高校までの人間関係は「広く・浅く」の人間関係だったように思う。


そして、地元を離れ地方の大学に進学し、一人暮らしの大学生活が始まった。大学生活は部活に明け暮れてばかりで、部活の奴らとしかつるんでおらず、あまり学科の友達ができなかった。

しかし、その部活の奴らと今も深い関係が続いている。社会人になって病んだら男同士で電話したり、失恋したら夜な夜な3時間ぐらいドライブに付き合ってくれたり。
自分がどんなことを考えているのかを僕は話すのが好きだし、それに対して友達はどう思うのかを聞くのが好きだ。

同じ物事に対しても自分と他人とでは全く捉え方も違うし、解釈の仕方も違う。逆の立場だったら、絶対に同じ考えにはならないなっていうこともしょっちゅうだ。

そこが面白い。

そして、そういう時に「なんでそういう考えになるの?」って聞くのがこれまた楽しい。そして一緒に自分も「俺はなんでこういうふうに考えるのだろう?」と考えるのもまた楽しい。

そういう話ができる人って、どこか自分と違うところもあると思うが、自分と深い話をしてくれている時点で何か「深い関係」になっているように思う。

相談できる人、ちょっと深いような答えがないような悩みを言える相手、自分の恥ずかしい・言いたくないことを言えるような相手、それを議論できる相手。
そういう友達が僕は作れてよかった。

そういう友達ができると、いつの間にか全員に好かれようと考えなくなっていた。

自分はカウンセリングを受けるのが好きでよく受けているが、カウンセラーの方から友人関係のコツで言われたのは「自分が大切にしたい人・自分を大切にしてくれる2割の人を大事にしましょう」ということだ。

何かの法則で、2割は自分のことを好いてくれて、6割は普通で、2割は自分とは合わない人種らしい。
別に統計上とかそんなのはないと思うし、どうでもいいが、この「2割の自分のことを好いてくれる人を大事にしよう」ということだ。

そして、残りの8割に関しては別に関係を断てというわけではなく、「頑張る」ことをやめましょうということだ。

「頑張って合わせる」「頑張って遊ぶ」「頑張って飲み会に行く」そういうのをやめていけばいい。

そして行きたい時にはいけばいいし、自分から遊びに誘うのもいいだろう。

最近は人間関係でも「頑張らない」を合言葉にしている。
そしたら、今まで自分が自分に対して貼っていたレッテルが案外、間違っていたりすることに気づく。
「飲み会大好き」だと思っていたが、「気を許せる人たちとの飲み会は好きだが」、目上の人たちがいる飲み会とかは結構苦手だったり、大学生がやるような騒ぐ・下品な飲み会は嫌いだ。

そんな発見が日々あり、「頑張らない」ことで結構自分が見えてきたりする。
最近はそういう発見が日々あって楽しいね。

「頑張らない」人間関係おすすめです。


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