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編集後記:デジカメUX小説『MODE』を書き終えて

『MODE』という物語は、2015年から2050年にかけて精密機器メーカーが人間価値を中心とする「課題解決プラットフォーマー」に生まれ変わっていく企業小説『レッド・ピークス』の中で最初に変化が訪れる事業領域としてデジカメの世界を描いたものをベースにして新たに書き起こしたものです。

ユーザーのアクティビティをコンテンツ(小説の中ではMODEとして登場)にまとめコミュニティに流通させることで更に多くのコンテンツを生み出していくビジネスモデルを作り上げ、その経験が他の事業へと広がっていくという大河の最初の一滴だった訳です。

レッド・ピークスの中では単に他の事業領域よりもクイックにユーザーコンテンツを立ち上げビッグデータを扱う経験が速く積めるという役割しかなかったのですが、こうやってデジカメUXとして切り出して改めて眺めてみるとこの物語の中にも25年という時間の流れがあり、さまざまな出来事へと広がりながら、写真とは何か、カメラビジネスとは何かという問題に向き合ていることに改めて気づきました。

主人公「美智瑠」の青春時代として『MODE』を、またそこから7年後そしてさらに18年後の姿を描いた『MODE II』を、それぞれ前編後編に分けて合計4つのエピソードに書くことにしました。

各記事についている<解説>にどのよな思想やコンセプトの下で体験設計をおこなわれUIが構築されているか紹介しています。解説を読んだ後でもう一度本文を読み返してもらうとUX小説と言っている意味が理解しやすいかもしれません。(本当は<解説>無しに本文だけで全てを伝えたいのですがそこまでの文章力がありませんでしたw)


「こんな人はいない」

特に大量生産される製品では多様なユーザーが使うことを前提にしなければなりません。また仮に一つだけの製品であってもどんな人がそれを使うのか、どんなシーンで使うのかは先に決めておくことはできません。

それに対してUX小説で情緒的な感情や、理想的な活動内容を記述することで、それ以外のユースケースを排除してしまっているように感じます。たぶん感じる人がいます。「自分ならそんなこととはしない」という意見などです。

そう意味ではUX小説は全てのユーザーを網羅することはできません。しかし多くの人にとって普遍的で本質的な価値が表現されていることが重要です。

人物や活動が(特例的なものであったとしても)具体的に描かれていることによって極めて具体的なUIがデザインされています。小説の中に直接記述している部分は少ないですが、下記のメモ(画像)のようにUIを設定しながら書いていたりします。

手を動かせばすぐにでもプロトタイピングできるレベルに設定をしている訳です。このことによって単なる妄想ではなく製品デザインという面では設計が進んでいる形になります。

当然製品が出来たとしても、それを使って小説のような体験をユーザーにしてもらうためには、マーケティング/プロモーション活動が必要になり、むしろそちらの方が重要なデザイン領域だと言えます。

その重要なデザイン領域を議論するためにも、UX小説を具体的に書き最初のUIプロトタイピングを作り体験することによって、関係者がより自分事として新たなUX”私”小説というバリエーションを書くことができるのです。

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デザインツールとしてのUX小説

UXデザインをおこなうときに良く用いられるのが、ペルソナ、シナリオ、ジャーニーマップなどのツールです。UX小説はそれらをまとめて小説風に表現したものです。

ではなぜ新しいデザインツールが必要だったのでしょうか。

長期的なUXや複数の登場人物によるそれぞれの出来事や背景など、文脈が複雑なUXをデザインする場合に最適ではないかと思い手法の研究を始めました。

例えば動画によるUXデザインの表現手法がありますが、行為や出来事としての共有には有効ですが、ものごとの意味や背景、それが起きる切っ掛けや過去の出来事などを複雑に描き出すには、いちいちそれらを説明するセリフや回想シーンを入れていては説明的な映像になり過ぎるし、上手く表現するためには本格的な映画に近づきすぎてデザイン業務の中で使えないのではないかと思っていました。

UX小説は、小説としてのフォーマットをとりながら「UX設計図」でもあるため、主要なエッセンスだけをコンパクトにまとめようとする意図が強くあります。また逆に読者に想像させる部分もあえて記述していたりします。もちろんそれがUX小説の正解という訳では無くこれからも手法としての研究を続けていななけらばならないと考えています。

しかし現実には具体的な事例を目にすることも少なくそのため勉強する機会もありません。なによりも従来製品の改良版を作るだけであれば不必要なものですのであまり注目されていません。

私は幸運にもフィルムカメラからデジタルカメラに移行する時期にデザインに関わることができ、多くの事業ビジョンを持つ人へ直接ストーリーを語ることができ「50年100年」というスケールの中でUX小説の原型のようなもののを話をすることができました。

ではUX小説の手法をデザイン業務に導入し伸ばしていくためには何が必要でしょうか。大局的な視点を持って小さなディテールを結び付けていく「コンテキストデザイン」がもっと注目され、その中でUIが感情を含むUXにどのように結びついていくのか、さらにUXが人生の中でどんな意味を持つのかという視点でデザインが語られるようになることが必要だと考えています。

小説は極めて感情的で人間臭いもので、他の人に読ませるのは恥ずかしいものです。会社の同僚であればなおさらです。それでもUXデザインの本当の意味を求めようとすれば避けては通れないはずです。

さあ、皆でUX小説を書きましょう!



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