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はじめまして!

こんにちは。
長い間ブログを書いてきましたが、この機会にnoteに今までフラワーデザイナーとして活動してきて感じたことや得たこと、そして私なりに考えるフラワーデザイナーについてや、日常の暮らしに取り入れる楽しいフラワースタイルの提案、など紹介できたらと思っています。
尚、最近自粛生活で始めた推し活にフラワーアレンジを取り入れて楽しんでいます。
なかなか面白いと思ったので度々シェアしていこうと思ってます。
参考にしていただけたらうれしいです。
よろしくお願いいたします。

仕事内容は、フラワーアレンジメント教室とイベント講師、販売活動を私の場合メインとしています。
ですが、現時点では、教室活動は思い切って自粛しています。
フラワーデザイナーのお仕事ってホテルやイベント会場、テレビ局などの装飾やウェディングの制作やフラワーショップ、教室、講師・・・など幅広くあるのですが、私は自宅教室を主軸でやっていました。
頑張って感染対策をしても、やはり常に向き合う感染の心配と、そうなった場合、生徒さんにも家族にも迷惑がかかりますし、そんな不安をかかえてまでやろうとは思えませんでした。
私にとってこの仕事は「ライフワーク」として向き合ってましたから、細く長く続けられるスタイルをその都度模索しながらでやってきました。主婦業と二つ仕事を持っている気持ちでいつもいたので、今は、教室を一旦棚上げしようということに決めました。

こんなに長くゆっくりとした時間が自分にあるのも今まで経験したことがなかったのではじめは戸惑いながらも実はだんだん慣れ始めてきています。
すべてが落ち着いて再開するときはフラワーアレンジメント教室ではなく、新しい形での花仕事をやっていこう、と考えるようになりました。

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生花から作るプリザーブドフラワーアレンジメント


私が「お花の先生」になったきっかけ

「私と友達4人にお花をおしえてくれないかな。」
叔母のこの一言から私はお花の先生が始まったといっても過言ではありませんでした。
当時はそれこそフラワースクールは卒業したけれど、普通のお花屋さんの従業員で人に教えたりしたことなどないし、講師の資格などないし、とんでもない!すぐにそう断ったのですが、叔母にしてみれば
「お友達も楽しみながらお花を触りたいだけだから、ちゃんとした教室に通うほどでもないの。だからこの位がちょうどいいの。」
との事だったので、じゃあ一度だけね、位の軽い気持ちで引き受けたのがきっかけでした。

でも教えることって自分もすごく勉強になります。ほとんど材料費のみの金額でお互いに楽しみましょう、といったスタイルでやっていた教室でしたが、後に「経験」という形で自分の些細な肩書にも繋がっていきました。そして叔母のサークルのみなさんにもとっても喜んでいただけて「先生」と私のことをみなさんが呼んで下さいました。先生だなんて、なんだかくすぐったくもあり、そして嬉しい気持ちもちょっぴりありました。

カルチャースクールの講師になったきっかけ

そして、人に教えているとやはり自分の未熟さにも気づき、新しくフラワースクールに通うことにしました。
当時はプリザーブドフラワー(生花を加工した新しいタイプのドライフラワー)が流行りだした時期で、そのスクールで制作したプリザーブドフラワーアレンジメントが自宅に飾りきれなかった為、近所のエステサロン様に飾ってもらえないかと飛び込みで頼んでみました。
お客でもなかったのにずいぶんと勇気があったなーと今思えば自分に関心しますね。なにも知らない若気の至りといったところでしょうか。でもオーナー様がとてもいい方で、快く飾って頂きそして私に「あなた、このお花のアレンジメント教えてもらえないかしら」となんと講師の依頼をしてくださったのでした。このエステサロンでは当時はカルチャースクールも展開していて、お花やダンス、英会話、工芸などの講座が入っているんだけれどプリザーブドフラワーはまだないのでやってほしいとのことでした。
確かに叔母のサークルには教えている経験はあるけれどほとんどお友達感覚だし、同時に受講料もほとんどお友達感覚。利益はありませんでした。その状況をオーナー様に伝えるとそれではこの機会に利益に繋がるような教室をやってみたら、とアドバイスをいただき、カルチャースクールの講師としてスタートすることになったのです。叔母のフラワーサークルからカルチャースクール講師へまずステップアップしたのがこの時ということになります。
このカルチャースクールではプリザーブドフラワーの流行に乗っていた時期ということもあってイベント講習会のお仕事をいただけたり、オーダーやウェディングの依頼もあったりで沢山の出会いをいただけて育てていただいた場所でした。この業界は、やはり資格云々より実績が大事なのです。

もともと引っ込み思案で人前で話すことも苦手な私がお花の先生として大勢の人の前で話すことになるなんて自分が一番驚いていました。ずっと裏方の仕事をしていたかったんです。お花屋さんの頃は提携ホテルの地下の駐車場でウェディンクカタログ商品の定番のアレンジを同じお花でずっと作っていました。駐車場で作っていますから鼻の穴などは排気ガスで黒くなってしまいます。ゴミがすぐに捨てられるように生ごみ置き場の前で作業していました。でも搬入でホテルの会場に入るととても華やかで、施工が終わるとまた作業場に戻り、次の作業の続きにかかります。でも陰キャの私にはその仕事が症に合っていました。
そんな私が大勢の人の前で話しているだなんてよくこんなことしてるな、って度々我に返って思っていました。お客様(生徒さん)がとてもよろこんで下さいますが時々凄く不安にもなり、当時お世話になっていたお花の先生にも相談しました。その先生のアドバイスが「女優になればいいのよ」ということでした。芸人さんだって案外楽屋では何もしゃべれない人もよくいるって聞くし、仕事なんてそんなものなのよ、とのことでした。
当時の私にはすごく納得のいったアドバイスでした。
そっか、女優になればいいんだ。私。

生活の変化とともにシフトチェンジ

そのようなことの繰り返しでどうにか講師を続け、場数を踏んでイベント講習会などにもたくさん呼んでいただけるようにもなりましたが、その後、妊娠、出産、育児で生活スタイルが変わりました。女性が自分の好きな仕事と家庭を両立することってすごく大変でいいことばかりではありません。
我慢することも多いし、つらいことも多いけど、言えない。妊娠してから、特に女性は人生が変わります。まず体が自分の思うようには行かないし、伴って心と周りの人とのコミュニケーションも大きく変わってきます。
自分が思っていた以上に身体が弱くて、仕事と育児の両立は心と身体に負担が大きく、真面目過ぎる私は結果、右耳が聞こえなくなりました。
今でも鈴虫の鳴き声に似た音がずっと右耳に鳴り続いています。

その後、自宅で小さな教室を作り、教室業をメインの仕事にシフトチェンジするようになりました。自分に合った仕事の仕方を模索して見つけた自宅教室のスタイルでした。自宅はなかなか分かりづらい立地にあり、あまり宣伝もしなかったので、あまり他に無いような特色を出そうと小さな教室ならでは、の内容でオリジナリティーを前面に出しました。
ご自宅に眠っている手持ちの雑貨を利用して生徒さんと一緒にデザインを考えて制作したり、昔使用したウェディングブーケを持参していただき、ほどいて違うものを制作したり、母の日でいただいた古いプリザーブドフラワーギフトをメンテナンスしながら新しいデザインに作り替えたり、など主婦目線の「リメイク、リサイクル」をテーマにした内容で、少ない生徒さんが長く通ってくださり、愛してくださいました。
「SDGs」という言葉が飛び交う今になって振り返ってみると時代に寄り添った内容だったのかな、と改めて感じています。

女性は、結婚、出産、育児で人生が変わるといっても過言ではないと思っています。
このnoteでは筆者が花仕事を通していろいろ感じたことや「+お花」で楽しむ 暮らしに寄り添ったFlower Life、などを提案していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

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