石打ち止めさせ粉砕恐怖症
原初の因果なのではないか。
不意にそのような発想が降って湧いた。
正確には原初というよりも先の世か。
ふとした拍子に何かのきっかけをもとに、思い出すシーン。
右横の男の子が辛うじて握れるぐらいの大きな石を辛うじて握り、やや太めの木が植わったスペースを円形にブロックで囲った花壇というか木壇というかのブロック上を台にして、同じような別の石をブロックの上に置き、手に握る獲物にて台上の石を打っている。
握る石(置く石もだが)は、荒い小石を滑らかなコンクリート状の石で練り集めたようなもので、ダマにしない努力をサボったホットケーキ液の液と混じり合わないダマとのそれや、ラズベリーを混ぜ込んだ白和えのようなものと言えば近いかもしれない。
後者の方がビジュアルとしては近い。が、現実世界としては拝める可能性が低い組み合わせでもあるな。
さて、石であるが、子供の力といえど、打ち付けるごとに断片的に破砕、局所的に弾け減っていく。
そこに手を入れたくなる衝動のわたくし。
本能的もしくは生理欲求のようなものではなく、どちらかというと義務感のようなものに近い。今思うに。
我慢できず、あるいはそんなに我慢もしていなかったかのように、打たれる石と打つ石との間に手を差し込む。
痛い。
血は出た。石片が皮膚内に入った。
(まぁ、文面ほど大した怪我ではない。)
ほどなく先生に気づかれ、職員室室内角の小さな手洗い場にて、大丈夫だからねと洗われる。
痛い。
痛い。感覚の覚えは憶えている。
が、どんな感情を覚えたのかは憶えていない―――。
という、突然、かつ定期的に思い出す記憶。なぜその行動をしたのか分からなかった。
ふと急に先ほど思い至ったのが、恐怖症のようなものではないかという推定。
テスカトリポカのエルポルボのような、粉砕させるシーン。
それを嫌がる粉砕恐怖症のようなもの。粉砕を止めようと衝動的に手を出したのではないか。
他者の粉砕は止められたとて代償が、という話ではある。
4-5歳ではその天秤は判断できない。よね。
とにかく目先の粉砕を止めたかったのではないか。粉砕恐怖症としては。
干ばつの割れ目。
皮膚の肉眼で接写した際の細胞の区切り。
それらが生理的に嫌いで、憶測を補強する要素ではある。
そして粉砕を始めとする恐怖症は、一度ならずそれが原因として致命的な経験をしたからであったのだろう。過去の生において。
粉砕でいえば、重度凍傷もしくは火傷。
他で言えば、先端恐怖や暗闇などは想像に容易だろう。
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