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シルクから、「サステナビリティ」を考える〜シルク研究日記#1〜

だいぶnoteがご無沙汰になってしまいました…!前回投稿したのが、半年以上前の7月…!今年は書くペースを上げていこうと思います。

現在、私はこれまで携わってきた一般社団法人TSUNAGUでの活動や、IDEAS FOR GOODなどでのライティングを続けながら大学院へ進学し、文化人類学の視点からシルク(蚕糸文化)の研究をしています。今まで「サステナビリティ」や「エシカルファッション」をキーワードに活動してきましたが、ここにきてなぜ「シルク」を研究することにしたのか?今回は近況とともに、そのお話を書きたいと思います!

文化人類学から、「社会問題」を紐解く

私自身、大学の学部では国際協力を中心に勉強してきたこともあり、日々さまざまな社会問題に触れていきました。特に、ファッション業界における環境問題や労働問題に対して違和感が大きく、「エシカルファッションについてもっと知りたい!」と意気込んで休学し、色々考えたり行動に移したり。そして、いざ大学へ再び!というタイミングで、コロナになりました。フルリモートの授業を受け続け、オンライン上で卒論を書き上げました。

これから就職するのか、それとも院進するのか?と考えていたら、時すでに12月。就活も院進の募集も終わっていたことに気づき、2021年は3回目のギャップイヤー(浪人、休学、院浪or就浪)だなと、呑気な気持ちでおりました。そして、家にこもりながらSNS上のさまざまな問題発信、そしてムーブメントを浴びるように見ていました。

その中で、今まで感じたことのないモヤモヤを感じるようになります。日々次々と発信される社会問題。そして、そうした情報に一喜一憂する私。ネガティブなスパイラルに入っていきました。

同時に、何か自分の中で沸き上がり、突き動かすような感情も生まれます。なぜ「社会問題」は生まれるのか、どうして価値観の衝突が起こるのか、そしてこの「不自由な感覚」は一体どこから来るのか——?これらの疑問を考えていくうちに、「現代社会」の枠組みだけでは分からない、歴史や伝統、そして社会を動かす人々の精神に関心を持っていくようになりました。

特に興味を持ったのが、社会的ムーブメントを起こす、その時代を生きる人々の精神や意識でした。これまで、さまざまなムーブメントを見る中で、人々の「こっちに行った方が良いんじゃないか」という積み重ねが社会全体の舵を切ると感じていました。それは、「自由」に向かって躍動するカラフルな世界観であり私自身もワクワクしますが、同時に「何か」を取りこぼしていくような、漠然としたモヤモヤを感じていました。今までの歴史の「アンチテーゼ」として土壌を一から開拓し直し、新たな城を築き上げていくようなプロセスが、本当に自分が望むムーブメントなのか?と感じるようになったのです。

そう考えた時、今まで自分が傾倒していた「サステナビリティ(Sustainability)」も「エシカル(Ethical)」も、根本の想いは国境を越えるにしろ、その骨格となる概念自体は西洋由来のものだと気づき直しました。そして、「今まで日本社会では、サステナブル・エシカルな取り組みは見られなかった。だから、新しく作っていこう」というような論調に違和感を感じることとなりました。同時に、今だからこそ、現在の「サステナブル」や「エシカル」という価値観に至るまでの日本の歴史、そしてこれからの社会のあり方を体系的に繋いでいく必要性を強く感じるようになりました。

シルクを通して、人間・生物・科学技術の関係を再考する

そこで、鍵となる存在・シルクに出会いました。これまで活動する中で、デザイナーさん達の素材へのまなざしに影響を受けるとともに、特にシルクという、生物が生み出す素材に興味津々になったのです。

そして、群馬県の富岡製糸場をはじめ、近代産業を牽引してきた蚕糸業の歴史に触れたり、各地の養蚕農家さんたちと話したりする中で、徐々にシルクのディープワールドへと引き込まれていくこととなりました。

開国以降、近代の大量生産システムを確立した科学技術と蚕糸業、女性の教育や労働、在来の民間信仰と外来の宗教が織りなす人々の精神——。生産システムから社会制度、そして人間の精神に至るまで、シルクという素材はさまざまな切り口で考えられる多面的な世界だと気づいたのです。

そして、シルクを大学院というアカデミックな場で勉強しようと思い、現在に至ります。特に私が研究したいと思っているのは、生き物の殺生を乗り越える生産者の精神です。シルクは、繭から生糸をつくる段階、蛹となったカイコを高温で煮てしまいます。何千年という歴史の中で、カイコを家畜化し、その命をいただきながら絹糸を生産してきた人間。その感謝や供養の精神は、養蚕信仰をはじめとした民間信仰の形で現れていると感じます。

こうした精神に注目することで、人間と生物、そして科学技術の関係性が見えてくる気がしています。工業化や分業化、中央集権化に拍車がかかる中、人々の精神はどのように変化していったのか。現在の大量生産システムの背景には、こうした生産者の精神性が大きく関わっているのではないかと考えています。

文化人類学と、ナラティブの編み直し

私自身、経済学や環境学でなく、あえて文化人類学を通して、現代語られる「サステナビリティ」や「エシカル」を考えることの意義を感じています。伸縮自在の「歴史」と地域の「風土」が絶妙に絡まりあっている、私たちの世界。文化人類学は、脈々と動き続ける事象を見つめ、絡まった糸をほぐしながらナラティブを編み直していくような、そんな行為なのかなと思っています。

近年でも、人新世に焦点を当て、「人間」と「自然」の境界など、これまでの二元的な捉え方を再考する動きが見られます。このあたりについても今後書いていきたいなと思います。

私自身、まずは「シルク」という素材を取り巻く歴史や文化に注目し、研究に邁進していきます!今後も、『シルク研究日記』として読者のみなさんと共有していきたいと思っているので、ご興味ある方はぜひ引き続きチェックいただけたら嬉しく思います(^^)