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被害者よりも加害者優先、どうせ救われないのなら黙っていた方が得?

「どうせ、何したって無駄」というセリフを言いたくなる場面がある。

たとえば、自分より上の立ち位置の人とのトラブルに巻き込まれてしまったとき。自分より声が大きい人ともめてしまったとき。

救いの手を差し伸べてくれる機関や人がいることはわかっているものの、問題を大きくしたところで、どんなに周りが同情してくれたところで立場が弱いことに変わりはなし。

形だけの謝罪と場合によっては多少の金銭。それにプラスして居心地の悪さが対価になるなら「いっそ黙っていた方が」という考えがよぎってしまう。

お忍びの将軍様が助けにでも来ない限り、市井の民というものはとかく弱いものと相場は決まっている。

「では、お前は被害にあった側を助けてやるのか。ことが終わってからも普通に接するか」というと言葉が濁ってしまう。

昨日の「コラムを書く練習」でも書いたけれど、被害者にずぶりと入りこんでしまうと自分の身が危うくなる可能性がほどほどにあるから。

誰しもそう思うようで、当然、自分が被害にあったときも手を差し伸べてくれる人はほぼいない。

「隠れて生きよ」ではないけれど、人との接触をしなければそういう憂き目も見ずに済むかと思うと引きこもっていたくなる。

ことの大小にかかわらず、うまい立ち回りを要求されるのは被害者ばかり。いつの時代の勧善懲悪ものの物語でもそうだから、昔からそうなのだろうけれど、なんだかやるせない気持ちになる。

読んだコラム

「被害者」

思ったことを箇条書きに

そもそも委員が89人っていうのもずいぶん多いよね。弊社の全従業員よりも多いぞ…。

公害問題の話なのに被害者代表が一人もいないのはさすがに。

加害者が納得することを前提にして公害問題を討議する。
公害問題をいじめに変えればどこかで似たような話をみたような。

外交ではそういっても、言った端から「忘れたのか?」というのはいつものことか。

自分の主張を決定

被害者よりも加害者優先、どうせ救われないのなら黙っていた方が得?

材料を書き出す

問題を大きくしたところで、世論を味方につけたところで市井の民というものはとかく弱いものらしい。

被害にあった市井の者が死んでいたとなればなおさらのこと、大声で非難されようが裁判沙汰になろうが、「ネットに記事は残るだろうがそのうち下火になるだろう」と頭は下げるが目つきは鋭くずる賢くあたりをうかがって待てばいい。他にたたく話題が出てくれば世間の目などそっちに行く。そんな姿勢が見え透く。

加害者が力をもっていればいるほどにそう。法で守られていたとしても被害者はなんと弱いことかよ。

訴えただけ損。泣き寝入りして忘れるに限るなんていうのもよくわかる。

昨日のコラムを書く練習でうっかり被害者に肩入れして痛い目を見た話もかいたけど、被害者にずぶりと入るのも損をしちゃう気がして、周りでは騒ぐだけ。

自分が被害にあったときも周りは助けてはくれない。

隠れて生きよではないけれど、人との接触をしなければそういう憂き目も見ずに済むかと思うと引きこもりたくなる。

ことの大小にかかわらず、うまい立ち回りを要求されるのは被害者ばかり。「声がでかい方が勝ち」なんて言い方もあるし、昔からそうなのだろうけれど、なんだか嫌な気持ち。

400文字程度の文章にまとめる

  • 推敲して、ロジックを整える

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やり方が掲載されている記事

文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。


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