それでも桜は咲いて海はそこにあるということ

毎朝決まった時間にニュースを見るけど、最近は当然のように

不要不急の外出は控えてください

とキャスターが呼びかけている。

そして、次の天気予報でうつる桜は満開だ。
きれい。と思わず声がこぼれる日は去年より多い。

わたしが育った地域は、港町だった。遠足で歩いて見に行く海も、当時付き合っていた彼と何をするでもなく見にいく海も大好きだった。
潮の匂い、波の音、そして海の向こうにはテレビでしか見たことのない国が確かにあって、そこで生活をしている人がいることが、私を慰め、勇気づけていた。
いつでも海は、私の味方だった。

でも、9年前、私は自然の猛威に慄くばかりだった。味方であるはずの海に裏切られたような、大好きだった穏やかだった海は嘘みたいに表情を変えていた。

3月16日、家族に連れられて海を見に行った。そこにはいつもどおりの変わらない顔の海がいた。

今年きれいに咲く桜を見るたび、あの日の海を思い出す。
世の中がどんな状況になろうとも、経済がどんなに混乱しようとも、自然は変わらない姿で"そこ"にいる。毎年なにも変わらずに。

よく考えてみれば、混乱しているのは人間が恣意的に作った環境のみだ。海も桜も変わらずにあり続ける。

明けない夜はない。
明日は必ずくる。

それは、自然がもうすでに体現してくれている。

終わりが見えない事態だからこそ、人と違う時間軸で生きている自然たちに目を向けたい。

今年も桜はとても綺麗だ。

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