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過去と盲目

 彼女は一人で本を読んでいた。姿勢よく、癖一つない腰まである黒髪を一つに束ねていた。中学校特有のおしゃべりばかりが耳につく休み時間。

「今日も孤高のお嬢様気取りしている」
「ほんと。うけるんだけど」
「自分からおひとり様を気取ってるんだったら私たちはかまってあげなくていいよね?」
「私たちとしゃべったら、ご優秀なあいつの脳みそが汚されちゃうもんね」

 その彼女と一つ通路を挟んだ席で三人の女子が声高に話す。しかし、彼女は聞こえないふりを続けていた。
 僕は何もできなかった。
 学級長のくせに。真面目のがり勉と言われているくせに。なにも、なにも、なにも……できなかった。
 
 また、あの女子グループが彼女の悪口を声高に話していた。
「あ、あのさ。そういう話って……やめておいた方がいいかも……」
 僕は勇気を出して、そう言った。

「なに? 学級長様様はいじめは見逃せませんって事?」
「なにそれ、うける」
「違うでしょ。学級長様も怖いんだ。成績もあいつの方が上だし」
「怖いよね~。大丈夫! がり勉学級長様は私たちが守るよ」
「ち、ちが……」

 違う。そう言おうとした。でも彼女たちの品定めするような目を見て言葉が途中で変わった。
「……あ、ありがと」
 僕はそれだけをいうとすごすごと席に戻った。

 そして、遠くから彼女を見つめる。彼女は変わらず、本を読んでいた。
 僕は学級長の義務としてクラスのいじめを止めようとしていた。それはある時から自分のために変わるのだが。

「あ、あのさ」
 それは中学三年生の三学期の終業式が一週間前に近づいてきたころ彼女に話しかけることに成功した。

「え、えっと、ど、どうしたの?」
 彼女は本から顔をあげ、こちらを見つめてきた。彼女の黒髪が凛とした顔にかかっている様子に思わず生唾を飲み込んでしまった。
「えっと……そ、その……い、いつも一人だから……少し話したいなって……邪魔じゃないかな?」

 彼女は一見冷たそうに見える顔をふわりと緩ませた。いつもでは見られない顔だった。その顔をみただけで僕は胸が急に高鳴るのを感じた。いわゆる一目ぼれ。よく漫画に出てくる一目ぼれだ。ただ、外見が美しかったからという理由で好きになるという典型的な。それでも、僕は彼女が好きになった。

「だ、大丈夫よ。そ、その……なんか……ありがとう」
「い、いや……な、なに読んでたの?」
「『斜陽』」
「あ、太宰治の作品だよね?」
「そう」
「面白い?」
「興味深い……かな」
 たわいもないただの会話。

 彼女のいつもの冷たい、どんなことがあっても変わらないように見える表情は消えていた。目は理知的な輝きに満ちていて、頬はほんの少し紅潮している。左目のしたのほくろが彼女の顔を実年齢よりも大人びて見せた。

「そ、そうなんだ。ぼ、僕もさ、最近、本読むよ」
「また、どんな本読んでいるのか教えてね。……あ、移動教室ね」
 そこで彼女との会話は終わった。しかし、僕の何故かわからないが、彼女の事が好きになってしまったのだ。よくわからない。それで、僕は彼女を守りたいと思った。
 ただそれだけのために。

 愛は盲目。
 言葉通り。僕はいつの間にか盲目になっていた。気づいた時には彼女を追うように、暴力団を作っていた。
『銀蛇』
 

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