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フィンランドのこと

サウナ、カフェ、森。最近のTV番組では、この国を幸せの国として、そうした文化をただ紹介するだけのコンテンツを次々に投下している。PISA(国際比較学力調査)の調査結果からフィンランド視察が大流行したあの頃と何も変わっていない。あの視察は何を日本の教育にもたらしたのだろう。しかも、そうした番組で現地の人にちゃんと触れているものはほとんど見当たらない。まだ許せて、チョイ住みのフィンランド特集くらい。あまりに悔しいので現地で感じたことを書き綴ってみる。

僕自身、正直にいって、はじめは自然やデザインに興味があって訪れていた。けれど今はどちらかというと人に惹かれてフィンランドに行っている。

初めてのフィンランド: 親切
fiskarsのアンティーク市に行こうと、karjaaという駅でバスを待っていた時だった。乗り場がわからずにうろうろしていたときのこと。ある年配の方が乗り場はここだよと教えてくれた。まあ、そこまでならよくある話だが、帰りのバスの時間もわかった方がいいからと、彼が長く手にしていたであろう時刻表を渡してくれたのだ。「え、あなたのでしょ?時間はわかるから大丈夫だよ」と断っても、また貰えればいいからと彼は笑顔で言ってくれた。実は同じ体験を、次に来た時にも経験することになる。バス乗り場で迷っていた時には乗り場まで連れて行ってくれたりもした。

2度目のフィンランド:「あなたのこと」を知る
eromangaというパン屋でピロシキ(rihapirakka)を食べていたときのこと。折角なので店番をしていた女の子に話しかけた。市街でおすすめの店の話をしていると、「東京って夜遅くまでお店空いてるんでしょ?ヘルシンキはすぐしまっちゃうからつまらない。本当に遅くまで遊んだりできるの?」と。見ず知らずのアジア人に対して、自分との接点を探そうとしてくれたことが嬉しかった。

3度目のフィンランド: 相手を思いやる自分ごと
bier-bierというバーに行った。今回の旅はローカルな人と話すことを期待していた。椅子に座って間も無く、50代くらいの女性(写真の方)が「あなた日本人?私、友達が大阪にいるのよ!」と気さくに話しかけてくれた。結局、彼女、彼女の同僚とその夫の3人と延々語り合った夜だった。

日本の話を始めて間も無く、「日本にとって北朝鮮って脅威じゃないの?」と聞かれた。日本人の会話で政治の話は思想信条に触れるからNGだと思い、なぜそんなことを聞くのかと言うと、「私たちの歴史は侵略の歴史なの。やっと独立して100年経ったけど、かつて侵攻したロシアは今でも脅威なの。だから、あなたのいる日本のことも心配なのよ」と。

フィンランド人は他者に配慮することはこれまでも知っていたけれど、【私たち】という言葉で、自国のことを、自分の言葉で話している姿に衝撃を受けた。だから政治や外交は彼らにとっても【自分ごと】だ。個人がこの類の話題を避けている日本はまだ追いついていないなあと思った。それはサウナに入ったり、森に行ったりするだけで得られる一過的なものとはまた違う。

話は変わり、彼女の同僚とその夫の話に。
連れ添って20年を越え、ようやく最近結婚したとのこと。なぜ籍を入れようと思ったのか、はっきりとした答えは聞けなかったけれど、結婚という制度自体ができたから入籍した、それだけのことだった様子。たまたま旅行中にレインボープライドがあり、当事者の方が広場に集まってシュプレヒコールをあげていて面食らっていたことを正直に告げた。実際、僕にも当事者の友人はいるし、その友人の誰もが権利を過度に主張することを望んでいないからだ。すると、「自分たちもそう思っている、静かに暮らせていればそれでいいんだよ、だから自分たちもああした活動とは線を引いているんだ」と答えが返ってきた。この国にも、報道されない当事者のリアルがちゃんとあった。

※あえて、「同僚」が男性だということが前半では分からないように書いた。同性愛者もしくはLGBTという表現も、そうカテゴライズさせる印象が強くて好きじゃないこともあり、あえて明記しなかった。ジェンダー、性的志向に限らず、あらゆる決め事はゼロイチでは決まらないと思っている。こうした可能性も考えることが、自明性を疑うということだよな、とふと思う。

そして、やはり聞かれた。日本の同性婚の事情。パートナーシップ?条例?なんで結婚できないのか?家族制度?いやそもそもパートナーシップってなんだ、それって国が認めないからやむなく自治体がやってるんだよね?正しさが場所によって違うっておかしくない?と悩みながらも、苦し紛れに知っていることを話した。でも、彼らは僕の拙く不十分な説明を真剣に聞いてくれた。

繰り返しになるけれど、フィンランドの幸福度指数が高いのは、学費がタダだから、社会保障が充実しているから、自然と触れ合える緩やかな暮らしができるから等々、ライフスタイルや働き方の面で理由が語られる。でもそれは結果でしかない。テーマパークも飯能にできたらしいけど、かつての北欧に学べという真似事の二番煎じになるのではと懸念したりもする。

彼らフィンランド人と話して、幸福だと言われる本当の理由は、他者を思いやること、思いやるための知識があること、自分ごとで語ること、それらを保証する環境がこの国にあるからだと思う。だから、まだ日本には足りないこの感覚に触れたくて、多分これからも訪れるだろう。

#フィンランド