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『ドラァグのアプロプリエーションとは何か 1 トランジション性』

ドラァグは、(1)黒人の (2)トランス女性の (3)セックスワーカーにより始まった。

なので、(1)黒人文化を侵さない
           (2)トランス文化を侵さない
    (3)セックスワーカー文化を侵さない
ものでなければ、アポロプリエイトではない。(それにより金銭的に儲けている、ことが実際には必要になるが、この点は、あえて置いておくことにする。)

これまで、私は(1)について、日本のテリトリー外で生まれた私が、私の世代のアジア系ダークスキンとして、ウーマンヒップホップをやることの正当性を訴える中で検討してきた。それについては、別稿にまとめることにして、今回は(2)について考察をしたい。

(2)トランス文化を侵さないパフォーマンスは、トランジションの要素を含んでいるもの、になるだろう。それがドラァグは、ジェンダーについてのパフォーマティブな実践だとジュディス・バトラーの言う所以であると思う。

例を、ドラァグレースというパフォーマンスの舞台設定を用いて考えてみたい。ドラァグレースは、パフォーマーがステージで2人で対決して、観客が投票して勝者を決めて、それを繰り返し、勝者が勝ち抜いていく、というトーナメント形式で行われる。

さて、胸を取ってるAFABと胸のないAMABと、クイーンとしてどちらがエロいかを脱いで踊って競う、みたいなのが私は一番好きだし、楽しい。(この書き方はあえてしている。)

しかし、胸を入れたAMABと、胸のあるAFABでは、成り立たせるためには、後者がトランスマスクである必要がある。なぜなら、トランジションの要素があること、別な言い方をするなら、ある種のフェイクなのがトランス文化の尊重という点から、前提になるからだ。胸のあるシス女性がクイーンをやるのでは、その必須の要素に欠けてしまう。

ノンバイナリーはどう扱うかを考えると、トランスマスクノンバイナリーや、トランスフェムノンバイナリーでないと、このゲームには参加できない。そもそもがジェンダーバイナリーという前提を「逆向き」のトランジションにより、ズラすものであるから。

同様に、ペニスないAMABとペニスのないAFABが股間からフェイクペニスを取り出して投げる、フェイクぺニスを着けて踊るというパフォーマンスがある。前者はクイーン、後者はキングでないと成り立たない。生身のものを使うなら、形成したトランスマスクのものと、トランスフェミニンのホンモノ、になるだろう。マスキュリンのペニス持ちがやるのでは、要件を満たさない。

そう考えると、シスがシスに「見える」状態でパフォーマンスするのは、アポロプリエイト。そういうふうに、目に見える、つまりジェンダーエスクプレッション上のトランジションを含まないトランスは、カルチュアル・アポロプリエーションとして、要注意となる。

私は(1)については、ブラックにルーツがないのに、その使用の必然性を主張しているし、もちろんアポロプリエーションにあたると考えられる場合でも、個別のケースを検討した結果、それに当たらないという判断をし得る、ということについては、最後に、したためておきたい。

実際には、この点から、かなりの問題を抱えるドラァグが、この地には存在する、というのは、言うまでもない。より分かりやすく言っておくなら、ジェンダーのトランジションを含まない誇張では、パフォーマンスの相応しさの要件を満たせないから、である。




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