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10年後の私へ

 こんな題名の文章を書く人なんて、今も昔も大体は小学生ぐらいだろう。そんな文章を、何故今年で26歳にもなろうアラサー女が書いているのかというと、10年後自分が生きている確証を持てないからである。

「誰だって、この先の事はわからないよ。」

なんてみんな口を揃えて言うだろう。だけどそういう意味じゃない。正直言って、今、私は自分が生きる意味を見出せずにいる。

私は小さい時から、大した取り柄もない普通の少女だった。強いて言えば、音楽と絵を描く事が人一倍好きだった。将来、そのどちらかに関係する仕事に就くものだと思っていた。
一方私の親は少し(いやかなりかもしれない)過保護で、高校の進路先や、就職する職業など、色々なものを私より先に目標立てて決めていて、それに反発すると容赦なく怒鳴りつけられた。

「これもあなたの事を思って言ってるのよ。」

この言葉がどんだけ私に今も重くのしかかっているのか、母は知らないだろう。
ちなみに、26歳の今でも門限が決められていて、24時頃までに帰らないと、親から鬼電が鳴り止まない。(ので、大体いつも24時頃帰っている)

そんな環境で過ごして早26年、私は見事親にあまり文句を言えない、自己主張のない大人になってしまった。

親が納得した仕事について5年目の夏、運の悪い事に、そこの職場が世間で言うブラック企業で、私は適応障害の鬱状態になってしまい退職してしまった。自分でも情けないなと思った。

適応障害とは…
ストレスによって、気分の落ち込み、意欲の低下、不眠や身体状態が出現している状態で、ストレス性障害の1つ。

「何もせずにゆっくり休んだらいいのよ。」


家族からこの言葉が欲しかった。それだけで私の心はどれほど救われた事だろうか。

だが現実は甘くなかった。


「お母さんの職場で貴方の同級生が結婚したのよ。
同じ年の娘なのに、この子はみんなから笑顔で祝福されて、私の娘は鬱になってしまって…お母さん、悲しくなったわ。」

「病気でしんどいのか知らんけど、みんな頑張って働いてるんだから。お前もどうするかさっさと決めろ。」


などなど。数々の言葉を言われた。
私の心は日に日に益々萎縮してしまった。
そして段々こう考えるようになった。


「みんな仕事頑張ってるのに、私だけ病気になってしまって、私が仕事できないからダメだったのかな。」

「私一応病気で、病院の先生からも『今は仕事の事は考えないで、楽しい事を考えよう』って言われてたのに。
そんな状態でも仕事しろって言われて。
私って仕事しやな生きてる価値ないんかな。」


毎日毎日、親の顔色を伺う。母の顔は少しずつ暗くなってしまっている。

親の言いたい事も十分わかる。
これから先働かずに過ごす事なんて到底不可能だし、私もいずれ働きたいと思ってる。何なら結婚しても働きたいと思っているぐらいだ。

ただ今は暗い憂鬱な気持ちに支配されて、仕事を始め、何かを新しくやり始めようという気力が湧かない。
必死に生きたいと思える気持ちもない。

かと言って自死する勇気もなく、ただ自分が駄目なんだと、自分を責める毎日。
だけど、ここだけの話、どうやって自死しようかと、詳しいところまで考えてるし、多分ふとした衝動でそうなってしまう可能性はあるなと自分でも思う。

こんな事考えてるなんて誰にも言えない。
親にも、友達にも、彼氏にも。

特に親には口が裂けても言えない。
「死にたい」なんて言ってしまったら、今までの親の私への育て方を全部否定してしまう気がするから。

なんだかんだ私は、両親を憎めないし、嫌いになれずにいる。

過保護だが、嫌なことばかりじゃなかったし、楽しかった思い出も、小さい時に抱きしめてもらった温もりもまだ覚えているから。


だから、ここに書き留めておくことにする。

10年後の私、まだ生きていますか?
今は楽しいですか?
今の彼氏と結婚してますか?子どもはいますか?
私は、貴方に会いたい気持ちが今ありません。

でもいつか、生きていて良かったと、
貴方に会えて良かったと、思えるようになりたいです。

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