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寿命

「死ぬことがわかる人がいる」という話を聞いたことがある。自分以外の人の寿命であったり、あるいは、人はわからないが自分が死ぬことがわかる人がいると。

K先生がいった

「ある人は、自分が死ぬことがわかって、その前日に“おおいみんな、俺は明日、死ぬからな”。でも家族はつまらない冗談だと思って相手にしなかったが、そおじいさんは本人が予言したとおり旅立ってしまった」

また、ある宗教者の話でも、やはり死期がわかる人がいるという。

自分が死ぬことがわかったら、恐ろしいに違いない。たとえば難しい病気になり、手術をして成功すれば生きれるが、しなければ一年以内に死んでしまう、手術をしますか?手術は成功するとは限りません、とても難しいので失敗すると死んでしまいます。という状況になったら、どう思うだろうか。

けれど自分の死期がぼんやりと妄想的にわかる、ということは、そんなに緊急に恐ろしいものでもない。それは曖昧で確証が持てないようでありながら、おそらく、かなりの確かさでその頃に終わりを迎えるのでは?と年々思わされるものだった。その“予感”は十数年前にはじまり、最初は自分の風変わりな妄想だと考えスルーしていた。けれど“それ”は忘れた頃に繰り返しやってきた。だからもしかしたら、その年齢になったら死ぬのではないかと、今は半分くらい思っている。

それが恐ろしいか?というと、○年後○歳で死ぬのだろう、怖い。と思う反面、その時までは何があろうと生きている保証があるということでは?とも思う。それで、その期限がそのとうりなのであれば、教えられたことはむしろ幸運ではないかと思うようになった。残りの人生をどうするか、可能な限り思ったように使えるから。この話をメモしておこうと思ったのは、数日前に新たに加わった直感があったから。それは、いよいお迎えが来るときに、そろそろだとか、明日だとか、前もって教えられるということのようだ。

本当にそうなるかはわからない。

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