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旅行の深い楽しみ方を外国人観光客から学んだ話

東京からはるばる広島へ旅行。

旅の二日目に宮島へ。

豊国神社出てすぐのとこ

上陸したらここ行こうとか目星をつけていたが
やはり定番の観光地なだけあって
結構な混み具合だった。

仕方なく先に昼食をとろうとするも
検討していた店がすでに混んでいていっぱいだった。

これでは目的の場所にも行けないかもしれないし
せっかくの時間も無駄になってしまうかもしれない。

やや残念な気持ちになりながら歩いていると
メインの観光地から外れた静かな海岸で

ぼんやりと海を眺めている外国人観光客の姿がちらほら。

何かあるわけでもないただの海岸
それゆえ他の場所と比べると圧倒的に閑散としている。

これからどうしようかなと思い
とりあえずそこに腰を下ろす。

すると、ふわっと心地よい優しい風を感じた。

遠くの茶屋の風鈴の音が聞こえてくる。

なんだか悪くないかもしれない。

歩き疲れた体が落ちついてくると
いろんなものが見えてきた。

青く澄んだ海。

静かで控えめな波の音。

ああ瀬戸内海ってこんなに波が穏やかなんだなとか、

空と山の色のコントラストが絶妙だなあとか

そういう小さなことに目を向け、気づいた瞬間
なんとも言えない静寂と幸福感に包まれた。

予定を全て放り投げ、

しばらく静かに何もしていない時間を過ごした。

何もしていないけれど旅先の空気感というか、
そういう些細なものを存分に楽しんだ気がする。

ちょっとした「禅」を感じた気分だ。
それからまた移動を開始した。

すると、先ほどの体験をする前と後では
見える景色が全然違うことに驚いた。

誰もが素通りする小さな祠の趣深さと荘厳な存在感、
誰も注目しない立派な大木の放つ生命感。

入ってくる情報量が全然違った。

どうして今まで気づかなかったんだろうか。

なにげない小道を歩くだけでも
発見に溢れ、ものすごく楽しい。


めちゃこういう雰囲気好き

もし海岸で腰掛けていなかったら気づかなかった世界だ。
あの外国人観光客の人たちは
こういう旅の楽しみ方をしていたのだろうか。

そうだとしたら日本人より
よっぽど「禅」な楽しみ方をしてるではないか。

いずれにせよ、

目的を消化することだけが旅行ではない
という言葉がすごく腑に落ちた。

もちろん有名な観光地を巡り、
美味しいものを食べるのも素晴らしいことだが、

こういう静かな小さな発見を見出すような

空気感とか雰囲気を存分に楽しむ旅もまた
一つの楽しみ方なのかもしれない。


PS. ちなみに宮島に行って一番お気に入りの場所は
個人的に豊国神社(千畳閣)。

未完成であるが故の美しさというか、
とにかく涼しくて落ち着ける場所で、

ずっとここにいたいと思えるレベル。

それに拝観料100円。素晴らしい。

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