YouTube先生 5/13 (タニムー)

YouTube先生は何をもたらすのか。

学生達からyoutube先生の噂をよく耳にするようになった。
リアルな学校の先生より「分かりやすい」と評判なのだ。
しかもネット環境さえあれば、無料で閲覧できるから
図書館のように誰にでもオープンに開かれている。
新しい知のプラットフォームと言っても過言ではないと。

「リアルな先生もyoutube先生たちを見習って欲しい。
 そうすれば少しは生徒や学生の成績もましになるのに〜」

とまでは、学生達は面と向かって言ってこないがw、
わざわざ教員にyoutube先生の話題をしてくることを思えば、
影ではそんなことを言ってそうだ。

確かに、一理ある。
youtube先生の存在は、
「授業の分かりやすさに」を向上させる
きっかけになるだろう。
トークのスペシャリストである
お笑い芸人やその業界の最高峰の人物が要約して
講義する訳だから、
巷の先生達だって、真摯に学び始めたら
退屈な授業が減るかもしれない。

ん、ちょっと待てよ。
YouTube先生の価値はそれだけだろうか?
むしろ、その存在が社会に対する影響は
もっと大きいような気がする。

実際に受けてみたらわかるが、
YouTube先生のコンテンツは既にものすごく充実している。
確かに学生達が指摘するように、YouTube先生は質、量共に
一流だ。今の問題とも絡めてられていて、退屈しない。
学校の先生から習う必要性を疑う気持ちも分かる。
学生の話を最初聞いた時に、正直ムッとした自分を恥じた。

つまり、これから先、YouTube先生をはじめ
ネット上の学びのコンテンツが益々充実し、
世間に広がり一般化すれば、
きっと、学校に行かねばならないという強迫観念は
薄まっていくだろう。
それに付随して学校通う主な理由もこれからどんどん
変わっていくと思う。

本人が学びたいと思えば、
そして、ネット学習の環境さえあれば、
自宅にいながらでも世界中の良質な講義を
受けることが可能になってしまった。
その気付きは、学校という場所に行かないと
教育が教授できないという既成概念から
解放してくれるだろう。
そう、YouTube先生は教育やその環境を提供する学校建築
においても、これまでのあり方を大きく揺らがす事件なのだ。
教育関係者はもっとそのことに真摯に向き合った方が良いだろう。
いや、社会の流れなので、向き合わざる得ないと言った方が
正しい。

一方で、そもそも、先生の役割って何だろう?
とも思う。

本当に、分かりやすく教えることが役割なのだろうか。
もし、仮に分かりやすく教えることだけが先生の役割であるなら
前提として、教える知識が固定化されており、
取り組む問題の答えが一つの場合に限ることになるだろう。
正解=ゴールが一つで明快だからこそ、最短コースを割り出し、
ショートカットを提供できるという道理である。

なので、分かりやすく教えることが目的である場合
「それは”塾の”先生のことだね」と補足したくなる。

逆に、正解が一つに限らない場合はどうだろうか?
専門教育や高等教育になればなるほど、
正解は一つではなくなる。
なので、教育を担う人材は
教員免許を持った先生ではなく
学位を持った研究者へとシフトしていく。

因みに、大学のことを学校とは呼ばない。 
学校と大学は、何が違うのだろうか?

大学では、卒業するためには卒業研究に取り組み、
そうと認められる必要がある。
それが公教育の学校と呼ばれる世界と
大きく異なる点である。

研究とは、未知なる冒険とよく似ている。
すでに誰かが明らかにしたことは
研究とは呼ばれない。

研究に取り組んだ人間なら、
身に覚えがあるかと思うが
そもそも研究のゴールが何なのか、
最初から見えている人は少ないだろう。
確かめてみないと分からない問題があるから
研究する。
五里霧中の中、先人達の研究成果を手掛かりにしつつも
一歩一歩自分の手と足でトライ&エラーを繰り返しながら
わけ入っていく。

問いをたて、自分なりに仮説を立ち上げつつ
それがどの程度整合性があるのかを検証し、
どこに課題が残るのかを明らかにすることで
つまり、クルクルとサイクルを回すことで
自らの答えに次第に辿り着くといったプロセスが
研究の一般的なアプローチである。

なので、大学でも教科書を使った講義があるにはあるが、
授業で教えられる範囲はほんの一部に過ぎないという
前提になる。教える側からすれば、基本中の基本とか、
入り口とか、最低限といった表現がしっくりくる。

けれど、そういったルール説明が丁寧になされるかといえば、
案外そうではないw。
学生からすると、それまでとルールがガラッと変わるのに
説明が十分にないまま、大学生活がスタートする訳だから
戸惑うのも無理もないだろう。

でも、その戸惑いこそが、とっても重要だったりする。
そのモヤモヤが自ら考えるためのきっかけとなる。
つまり、説明しないことが、
通過儀礼の最初の一歩となるのである。

受け身の学びから能動的な学びへのシフト。
そのシフトを”自ら”できるかどうかにかかっている。
それが出来ない人間に、研究ができる道理はない(本来は)。

答えを知りたくて調べているうちは
研究に行きつかない。
もしろ、答えらしい答えがどんどん溢れて出てきて
迷宮入りする。
そっか〜、答えって一つじゃないんだーという
気付き。
納得できる答えがないなら
自分で実証するしかない!
それも一度や二度で実証できるなら
苦労はしない。
また、答えを答えることよりも
なぜ、それを答えとしたのかを
論理的に説明することの方が重要になる
ことを学ぶ。
それが研究者の日常(のはず)だ。

以上を踏まえて
問いに帰ろう。

先生の役割は、分かりやすく教えることだろうか?

高等教育になればなるほど
所謂分かりやすく教えることから遠ざかっていくように思う。
それは、本に書いてあるのだから自分で読めば手に入る。
今だとYouTube先生が積極的に教えてくれる。
むしろ、そこでは得られない
自ら探求することの面白さを伝えることが
教員の役割として大きくなる。

その答えの方がより美しいなー!と
分かり易さよりも、答えの美しさ!といった
表現がしっくりくる世界へと移り変わっていく。

逆に、深淵な奥行きに触れ「分からない」に触れる機会を
提供することも教員の役割として重要と言えるかもしれない。

というのも何がきっかけで学のスイッチが入るかは
誰にも変わらないからだ。

さて、前置きが長くなったけれど
コロナさんのおかげで出来た有難い時間を使って、
YouTube先生って実際のところどうなの?を
体験してみることに。

まずは、話題の
”中田敦彦のYouTube大学”
から「エクストリーム現代社会」を視聴。
というか、こんなにもコンテンツの量が多いとは
本当に驚きである。
本気で社会を変えようとする意気込みを感じた。
もしかすると、学生達もそこにやられたのでは。
自分にそこまでの覚悟があったかといえば嘘になる。

どれにしようかな。
あり過ぎて何をみようか迷うが、
まずはテクノロジー系を攻めようと
”ブロックチェーン”の回を閲覧してみた。

【ブロックチェーン①】〜5G時代の最終兵器「ブロックチェーン」人類の未来を変える大発明!〜
https://www.youtube.com/watch?v=HfIqAQUPrjA
【ブロックチェーン②】〜5G時代の最終兵器「ブロックチェーン」 GAFAを倒す革命的な技術〜
https://www.youtube.com/watch?v=H2jP94Fpoi0

結論としては、いや〜めっちゃ面白かったw!
そして、出典の書籍『WHY BLOCK CHAIN? 』も読んでみたくなった!
本の一行目に書いてあるという
「本質は技術ではなく思想である。」
も納得!
(「サトシ ナカモト」という謎の人物も興味深い!)

まだの人は是非試聴してみてほしい!
(タニムー)




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