見出し画像

FtMのゲイが結婚して離婚して男になってパートナーシップを結ぶまで

僕はFtMという書き方が嫌いだけど、同じような人が検索で見つけやすいように、あえてFtMという書き方をした。この記事は長い。だって、僕と夫が考え、話し合い、決断を下した一連の出来事をお伝えするからだ。


登場人物

僕:1996年生まれ。エンジニア。トランスジェンダーのゲイ。
夫:1996年生まれ。心理士。シスジェンダーのゲイ。

概要

この記事は、トランスジェンダー男性の僕が、夫とパートナーシップを締結し、パートナーシップを破棄し、夫と結婚し、離婚し、僕が戸籍上の性別を男性に変更し、夫とパートナーシップを再締結する話である。

年表

2021年12月:交際開始
2022年3月:同棲開始、パートナーシップ締結
2022年12月:意思決定
2023年3月:パートナーシップ破棄、婚姻届提出
2023年4月:性別適合手術
2023年5月:離婚届提出
2023年6月:戸籍の性別変更
2023年7月:パートナーシップ締結

きっかけ

シスジェンダー男性である夫と暮らし始めて、トランスであることに悩むことが多くなった。理由は明快、比較対象が身近に存在するからである。心のどこかで諦めていた「戸籍上の性別を変更すること」が、どうしても諦めきれなくなっていた。

戸籍上の性別を変更すると、夫とは一生結婚ができない。何故ならば、この国では同性婚が認められていないからである。僕が戸籍上の性別が女性のままであれば、結婚はできる。でも、戸籍上の性別を変更することができなくなる。何故ならば、戸籍上の性別を変更するには、独身でなければならないという条件があるからである。

結婚しようと思った理由

名字を一緒にしたかった

日本では結婚をするか、養子縁組をすれば名字を一緒にすることができる。結婚はお互いのどちらの名字にするか選ぶことができるが、養子縁組では基本的に養親の名字を養子が名乗ることになる。養親と養子は生年月日で決まるものであり、実質選ぶことができない。またこの国では、一度でも養子縁組をすれば、その後に解消したとしても結婚することができないという決まりがある。

夫は僕の名字を名乗りたいという希望があった。僕は数年前に祖父と養子縁組をしており、父親の名字ではなく祖父の名字で、思い入れがあった。だからこそ僕と夫は、僕の名字にしたいと考えていた。しかし、夫の方が僕よりも生年月日が早く、養子縁組をすれば夫は僕の名字になることはできない。しかもこの先、この国で同性婚ができるようになったとして、養子縁組をしてしまえば、同性婚ができなくなる。そしてたとえ離婚しても、結婚時の名字を名乗り続けることもできる。以上の理由が、結婚の主な理由である。

国に僕らの関係性を認めてほしかった

戸籍上が異性であれば中身がどうであれ、この国では結婚ができる。僕にとっても夫にとっても、異性同士の結婚については納得していなかったが、一度でも短期間でも、国に認めさせたかったのだ。僕と夫はこうして生きているのだと、このようなカップルがいるのだと。あと一度くらい、婚姻届書いてみたかった、というのもある。

家族と会社の協力

2023年1月、実家に帰省をしたタイミングで母と祖父に報告をした。母も祖父も性別適合手術を受けるにあたっての僕の体調を心配してくれていた。

僕と夫は同じ会社で働いているのだが、僕は上司や社長に自分のセクシャリティをカミングアウト済みである。2022年12月、上司と社長にはこれからしようと思っている一連の流れを説明し、理解を得た。性別適合手術によって勤務に影響が出るかもしれなかったので、伝えておいて良かったと思う。

「こんなに色んな手続きをしないといけない、この国って何なんだろうね」と、僕の代わりにため息を吐いていた社長のことが、僕は大好きだ。

意思決定

2022年10月頃から話し合いはしていたものの、明確に決まったのは12月のことだったと思う。僕と夫にとって何が幸せなのか、日本の法律を上手く利用するにはどうしたらいいのか、調べて考えていた時期だった。

パートナーシップ締結及び破棄

パートナーシップの締結は、平日に指定の場所で行った。とっても簡単だ。僕と夫の住む自治体では、戸籍上が異性でもパートナーシップを締結することができる。小さな証明書のカードが郵送されてきて、同棲開始と同時に僕らはパートナーとなった。パートナーシップの破棄は電話で問い合わせ、書類や証明書のカードを郵送した。結婚をすると、パートナーシップは破棄となるらしいからであるが、自治体によって異なるだろう。

婚姻届提出

僕と夫の友人それぞれ1名ずつを証人として、僕と夫は婚姻届を書いた。ちょうどYoutubeの撮影が入っていたので、撮影されながら。僕らの本籍地を決めて、2人で戸籍を作るのだという実感がちょっと湧いた。
正直、あんまり思い入れはなかった。何故ならばこの時はまだ僕は「妻」であって、女性として扱われることに納得はしていなかったからだ。また、これは旅の途中であって、離婚もすでに予定しているからゴールという感覚はなかったのだと思う。だからこそ、Youtubeで撮影素材に使われても特に気にしていなかった。

性別適合手術

2023年1月に病院に問い合わせ、3月には手術前検査、4月上旬に性別適合手術を受けた。学生時代に乳腺摘出手術とホルモン治療は受けていたため、今回の手術は子宮卵巣摘出手術のみであった。手術後は順調に回復した。4月中に、戸籍上の性別を変更するための診断書を取得した。トントン拍子で話が進んだ。ずっと入っていた医療保険にダメ元で申請すると、かなりの額のお金がもらえたので申請した方が良い。

離婚届提出

戸籍上の性別を変更するためには、出生から現在までの戸籍謄本が全て必要であり、結婚していた人は離婚をしているという証明が必要である。戸籍謄本に離婚したことが反映するまでには時間がかかるため、戸籍謄本を取得する日から逆算して離婚届を提出した。証人は婚姻届と同じ友人にお願いした。

離婚届の提出と同時に、夫は「婚姻時の氏を称する届」を提出したため、夫は離婚後も僕と同じ名字を名乗る手続きが完了した。

名字が一緒になる

保険証や郵便物に書かれた夫の名前の名字が、僕と同じになっていくのを見て、僕は今の名字が誇らしく思えた。元々の父親の名字に慣れていたこともあり、普段僕はその名字を名乗ることが多かった。今の名字が嫌いだったわけではないのだが、何だかいつまでも慣れなくて、名乗ることを控えていた。

お揃いの名字の印鑑を買った。高かったけど、嬉しかった。名字が一緒でなくても家族だったけど、名字が一緒になった僕と夫は、やっぱり家族だった。何となく腹を括った感覚だった。仕事上では僕も夫も前の名字だが、これからは今の名字で生きていくということを、印鑑を手にすることで誓えたような気がした。

戸籍の性別変更

性別適合手術が完了し必要書類を揃えて、裁判所に提出した。改名手続きで裁判所とのやりとりは経験しているはずだが、なんせ改名手続きのことを全く覚えておらず、初体験みたいな気持ちになった。僕の家庭環境が少々複雑で戸籍謄本の取得が厄介であったが、書類は一発で通ったので良しとする。特別送達で裁判所から変更を許可する旨の通知が送られてきたら、一旦は完了。戸籍謄本に反映されたら、マイナンバーカードや保険証の再発行をする流れになる。

正直、嬉しいとかよりも「やっとできた」という気持ちが強かった。手術に踏み切るまでの時間は、自分の中でも何度も悩んだりしていたのだが、終わった今から振り返ると、変に焦らずに選択して良かったなと思っている。

プロポーズ

ちゃんとした指輪を作って、ブリザーブドフラワーのバラを一緒に夫に渡した。夫はたいそう喜んでくれた。詳細は別記事にて。

パートナーシップ締結

付き合った記念日も1回目のパートナーシップ締結日も、日付が素数だったので、今回のパートナーシップ締結日も素数の日付にすることにした。夫の休みに合わせて僕が有給を取って、平日に予約をとった。

「おめでとうございます」と職員に言われた。2回目だったので書類の記入などは慣れていたのだが、祝福されたのは初めてだった。これはめでたいことなのだ、と実感した。男と書かれた住民票を提出した。外見も戸籍上も男同士で、名字がお揃いのカップルが、そこには存在していた。同性婚はできないけれど、まるで同性婚をしたような僕らの存在は、おそらく国内では稀有なケースだろうけど、ようやくここでピリオドを打てたのだった。

おわりに

パートナーシップを再締結したからといって何かが変わるわけではない。僕と夫は相変わらず一緒に住んでいるし、一緒に通勤電車に乗るし、一緒のベッドで寝る。たまにお互いの推しを布教するし、車の中でお互いの推しの曲を歌う。料理を作って、洗濯をして、掃除をして、買い物をして、笑い合う。当たり前の日々が、ちょっとだけ国に認められて、それはマジョリティの人々には非難されることかもしれないが、僕と夫にとってはベストな選択肢だった。ただ、それだけのことだ。

かっこいいだろって思う。僕と夫は今の日本の法律でできることをやったのだ。もちろん同性婚ができるようになってほしいのが1番だが、まだ難しいだろう。僕らでしかできない結婚と離婚という裏道は、名字を一緒にするという技を作り出した。シスジェンダー男性同士のカップルではできないことだった、僕がトランスジェンダーとして存在する唯一の利点だった。それでも悩むことはたくさんあったが、今思うことはこれだけだ。

生きていて良かった。死ななくて良かった。

何度も自殺未遂をした僕は、過去の僕にいう。でもこれは、僕が考えて動いたからできたことだ。黙って日々を鬱々と過ごすだけでは手に入れられなかった、最善の人生の在り方だ。勘違いしたくないし、しないでほしい。僕は頑張った。夫も頑張った。幸せを掴むために生きて、幸せになるために生きるんだ。

生きているだけで花丸だ。それは今もそうだ。だけど、生きているだけじゃ得られない物がある。一歩踏み出さないと見られない景色がある。僕と同じようなケースの人がこの記事を読んでいるかもしれないけど、あくまで僕のやり方であって、あなたはあなたの人生を歩んでほしい。叩きつけた僕と夫のやり方が、皆に当てはまるわけでもないから。でも、何かと戦い現状を打破し前を向くことは、こういうことなのではないかって僕は思うんだ。

半径3m以内の世界を変える。これが、誰かに勇気になりますように。

頂いたお金は、アプリ「cotonoha」の運営に使わせて頂きます。