西の魔女が死を選んだ
僕は埼玉で、母方の祖母は神戸だ。だから、祖母を西の魔女といっても差し支えないだろう。
祖母は未だ亡くなっていない。だから死んだとは言わない。だけど、ほとんど死んだようなものだ。ICUにいて、脳死状態に近く、自発呼吸もなく、意識もない。大体1ヶ月程度です、と医師に言われた。
自殺だった。自死だった。自宅で首を吊った。買い物から帰ってきた祖父が見つけた。遅かった。心停止が30分以上続き、脳へのダメージが大きかった。
「あん時、イエローハット寄らんかったらなあ」と祖父は何度も悔やむ。
何十年も連れ添ったパートナーの死が自死で、自分の発見が早ければこうなることもなかったかもしれない、そんな状況は想像を絶する。祖父は、どんな思いで過ごしてきたのだろう。気丈に振る舞うが、祖母の部屋には入れないのだという。畑で育てたスイカもトマトも、祖母のために作っていた。祖父は、祖母が大好きだったのだ。
なんて酷い、惨い。
祖母が死を選ぶ数日前、詩集が発行されたと僕にその本を送ってきた。宣伝用の写真まで撮って、僕のフォロワーに告知してほしいと頼んでいた。バスツアーも、詩集の出版記念パーティも、東京への旅行も、自宅をリフォームをして老後を過ごすのも、何もかもがこれからだっていうのに、祖母は全部、手放した。
僕が出来ることは、今の感情を文章にすることだけだ。
祖母は僕のパートナーじゃないから、祖父の痛みは分からない。祖母は僕の親じゃないから、母の痛みは分からない。だけど、祖母は僕の祖母だから、孫の痛みは分かった。
人工呼吸器に繋がれた祖母は、口を開いたままだった。無機質な機械音と、無関心な体温と、無慈悲な呼吸と、僕の頭はどうにかなりそうだった。鼻と口に繋がられたチューブ、腕に刺された点滴、何度呼びかけても目を覚さない現実。1日1人15分という面会時間で、僕は泣きたくて泣けなくて、涙を堪えた。
「ばあちゃん、本売れたんよ、お礼の手紙書いてやあ」と僕の言葉は空に消える。
祖母は僕のフォロワーに売る用に、たくさん詩集を送ってくれていた。実際にフォロワーに売れた。だけど、まだ詩集は僕の手元にあって、発送の準備が出来ないままだ。だって、表紙を見ただけで僕が泣いてしまうから。
僕も中学生の時、自殺未遂をしたことがある。大量服薬した後、入院したことがある。喉まで出掛かったその台詞は、僕の口からは吐いてはいけない気がした。でも、やっぱり思う。
「何で、何で死ななあかんかったん」
発作的だったのだろう。祖母が選んだ死は、それほどまでに美しかったのか。残された家族は、行き場のない思いを抱えて生きていかなければならない。救えた命だったか、救えない命だったか。
違う。救いたかった命だった。
祖母の家族だった僕は、もうすぐ遺族になる。
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