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旅行に行った話

有休消化の期間が終わろうとしている。9月に働いていた会社を退社をしてから、転職先の会社に就職する11月までの1ヶ月間、僕はお休みをしていた。僕と夫は、僕の実家である神戸に帰省することになった。

僕の祖母が亡くなってから数ヶ月後、母は祖父と同居するため、神戸に引っ越しをした。大きな一軒家に引っ越した母は、やっぱりどこまでもハツラツとしていた。在宅勤務が主になった母の仕事は、山の上の一軒家にはちょうど良いらしい。広い自分の部屋を手に入れた母は、僕があげた机やベッドを有効活用して、快適そうに過ごしていた。

僕の育った街を、楽しそうに歩く夫を見るのは、とても幸せだった。

メリケンパーク、ハーバーランド、南京町、元町高架下、三宮センター街、それから有馬温泉。貸切の露天風呂に浸かって、お互いの浴衣姿に笑って、たらふく懐石料理を食べて、いくつかの写真を撮った。

差し出されたのが男物のスリッパだったとか、用意されたのが男性サイズの浴衣だったとか、僕が男だとたらしめる証拠はどこにでもあって、僕は夫と「同性として存在していること」を、周りにも認められている気がして、心がむず痒くなった。当たり前だけど、当たり前じゃない。自認している性別で扱われることがどれだけ貴重で重要なことか、僕はよく知っていた。

「兄弟で来たん?」

南京町で角煮バーガーを買った店主に、そう聞かれた。実際、僕と夫の顔は似ている(お互いに色白で眼鏡の丸顔だ)。

「ご友人ですか、大学時代とかの」

懐石料理を運んでくれた女将さんに、そう聞かれた。

男同士だから、男同士だからこそ、僕と夫は「そのような関係」には見えない。たとえ、僕と夫の左手の薬指に指輪がついていたとしても、それはお互いに別々の家庭があるのだと思われてしまうのだろう。僕と夫が「そのような関係」であることは、きっと誰にも分からない。男女のカップルであれば当たり前のように享受できる気遣いを、僕と夫は知らない間に通り過ぎてしまう。僕にとっては喜ぶべきことなのかもしれない、だってそれは僕がきちんと「男」と認識されている故のことなのだから。

僕は夫と目配せして、それから女将さんにこう答えた。

「ええ、そんな感じです」

難しいよな、と僕は思う。同性カップルの権利を主張したいわけでもない。むしろ、男同士のカップルだと女将さんに言って気を遣わせたくなかったし、一般的に見れば男同士の、友人によく似た間柄として見られて良かった。

夫は、どこでも僕と手を繋ぐ。誰に見られようとも、男女のカップルのように、それが当たり前であるかのように、僕の手を握る。僕は、昔よりも人の目を気にするようになった。男同士で手を繋ぐことが、怪訝な顔をしながら通り過ぎる人々を見れば、如何に滑稽なことか、よく分かるからだ。それでも僕が夫の手を振り解けないのは、夫を愛し、夫と共に生きることを誓ったからだ。

僕と夫は、これからも歩み続けるのだろう。同性として、男同士として、誰にも分からなくてもいい、そこに愛と幸せがあるのだと。


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