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光陰の矢をつかまえろ!

何度目の、卒業式だろう。

欠伸を噛み殺しながら、僕は着古した制服に身を包み、胸元には造花を挿され、体育館に並べられたパイプ椅子の1つに座っていた。あいにく僕の両隣は女子でおまけに前後も女子で、僕はすすり泣く彼女たちの息に囲まれていた。僕は短く息を吐いた。また、今年もダメだった。

「戻って」

最初にその能力を知ったのは、小学生の時だった。持ち帰ってきたテストが15点だったその日、僕はクシャクシャに丸めてゴミを化したその紙切れを、捨てきれずにいた。小学校には焼却炉はなかったし、家でゴミ箱にこっそりと入れても、勘の良い母親にバレてしまうだろう。あらぬ方向に折り目がついた紙を広げ、誰もいない公園のジャングルジムのてっぺんで、僕は空を見上げた。暗記が得意だった僕は、担任の先生が解説してくれたおかげで、散々だったテストの答えを分かりきっていた。どうしてこんな点数を取ってしまったのか、僕は頭を抱えていた。

「時が戻ったらなあ」

何気なく、僕は空に向かって言葉を浮かべた。その瞬間だった。世界がぐるんと回り、僕はジャングルジムから転げ落ちたのかと錯覚した。急旋回する飛行機に乗ったかのように視界は回転を繰り返し、聞こえていた16:00を知らせる街のメロディがかき消されていく。再びざわざわと声が聞こえ、視界が一点に定まった時には、僕は教室の中にいた。それは、僕が15点を取ったテストが行われる直前だった。

時が戻ることを知った僕は、あえて何度も使おうとはしなかった。回数に限りがあるのかもしれないし、体に悪影響があるかもしれない。僕は慎重で、味をしめて楽しいことだけを無限にループするような、浅はかな子どもではなかった。少しずつ実験を繰り返し、時が戻る現象にはいくつか条件があることを知った。近所にある廃れた公園のジャングルジムのてっぺんに座ること、16:00の街のメロディを聞くこと、「戻る」というワードを言うこと、小学校を卒業するまでに、僕はこの条件を受け入れ、10回ほど時を戻した。

気づけば、中学校も卒業する。

中3になってから、僕はクラスメイトに恋をした。あまり積極的にクラスで発言をしない僕は、数少ない友人と話すことくらいしかしておらず、クラスの中心的存在だったその子に、僕は近づくことさえ出来なかった。僕はその子に、卒業式の前日に告白をした。だけど、その答えはNOだった。小学生の時はあんなにも慎重に時を戻していたのに、中3の僕はこんな色恋沙汰に2回も時を戻していた。1度目も2度目も、僕は卒業式の前日に告白をして、撃沈を繰り返していた。何故そこまで必死にその子のことが好きなのか、僕にも分からなかった。ただ、その子の隣にいたいと願っていた。その子の特別な人になりたいと願っていた。

三度目の正直と、二度あることは三度あると、矛盾した言葉が僕の心を貫いた。卒業証書を受け取り、クラスの担任は泣きじゃくって、僕は冷めた目で教室の窓から校庭を見下ろしていた。穏やかな春の陽射しが窓から降り注いでいた。桜がふわりと舞い散る。前の席に座る、僕の片思いの相手は肩を震わせ、泣いているということが分かった。紺色のブレザーが、その子の小さな姿を象っていた。

昨日、僕はその子にまた、告白を断られていた。

僕は、卒業証書が丸めて入れられた筒を鞄に放り込み、卒業式に参列していた僕の母親を置いたまま、3度目の時間を迎えた。1度目と2度目と同じように、僕はいつもの公園に行き、ジャングルジムのてっぺんに座った。空を見れば、もう陽は落ちかけ、雲が流れている。西日が僕のズボンを照らした。僕は息を吸った。次こそは、次こそは、と思うたびに心が昂り、そして疲弊している気がした。

口から、も、という言葉が出かかった時、と背後で覚えのある声が聞こえた。

「ここだったんだ」

振り返るとそこにいたのは、僕の告白を通算4度も受けている、その子だった。僕は口を開きかけたまま、時が止まったように動けなくなる。ぼんやりとしている僕に、その子はふらりと近づき、そうして僕と同じようにジャングルジムのてっぺんに座った。その子が着た制服と、僕が着た制服が、風に揺られた。砂だらけの僕の鞄と、綺麗なその子の鞄は、ジャングルジムの下で寄り添っていた。

「昨日で、4回目」

その子は僕の方を見て笑った。僕はその子を見つめ返し、一瞬だけ息が止まった。その子が知っているのは、僕の時を戻せる力と、僕がした告白の回数で、僕は、誰にも知られていないと驕っていた自分の愚かさを憂いた。その子は、僕のことは誰にも言っていないと言い、それから中学校の思い出を語っていった。

「あっという間だった」

国語の先生が「光陰矢の如し」という言葉を語ったように、今の僕にはその言葉の意味が強く刻まれていた。どれだけ時を戻したって、時が経つのは早かった。僕はその子の顔を見れば、その子は僕の顔を見て、目を細めた。まるで何かを懐かしむように、それでいて僕を安心させるかのうような、温かい目だった。

「君の告白は、嬉しかったよ」

丁寧に言葉を紡ぐその子の声が、僕の耳にするりと入り込んでいく。何度も振られて嫌になりそうで、それでも好きだったその子の声が、僕の真隣で発されていた。僕は何かを言おうとしても、口から溢れるのは生温い空気だけだった。僕は俯き、その子の言葉だけを聞いていた。

「高校生で、待ってるからね」

その子は、何事もなかったかのように、ジャングルジムを下り、片手を上げて僕に別れを告げた。僕はその子の後ろ姿を見ながら、言いかけた言葉を留めた。

「戻さなくて、いいよ」

僕の気まぐれに聞こえたであろうその台詞を、大きく広がる空はきっと、受け止めていた。

光陰の矢をつかまえろ!

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