見出し画像

米国に引っ越した話

はじめに

米国に住んで9ヶ月が経ちました。思い返せば、米国に住むことになったきっかけをまとめておらず、忘れてしまいそうなので、この機会に記録に残したいと思います。米国での生活を決めてから約1年3か月で引っ越しが完了。ビザの問題や準備など、その一年は変化が多く慌ただしくて結構大変でしたが、経験値が上がったように感じます。文体から唐突さ、まとまりのなさ、ごちゃごちゃした感じ、を受ければまさに私が経験した感覚に近いです。似たような経験を予定する人などの参考になればうれしいです。

読者の参考のために登場人物の紹介です。
私:日本人、男性、企業エンジニア
彼:中国人、男性、研究者
いずれも米国籍や米国の永住権はなし。

出会いから遠距離まで(2021年8月~2022年4月)

今の夫となった彼とは2021年の8月に出会いました。当時、彼は中国人留学生で、日本の大学院で医学系の研究をしており、翌年3月に卒業を控えていました。彼と話をしているうちに、日本で仕事をする意向がないことを知り、中国に戻るか、米国で仕事を探すか検討していました。つまり、一緒に暮らすとしたら私の在留資格の問題を解決する必要がありました。

彼は米国や中国の大学や研究所に就職活動を始めると早々に中国の病院からオファーを貰いました。それを受けて、私も中国滞在を模索するため、当時勤めていた会社内の偉い人にコンタクトを取り中国への駐在や異動の可能性を探り始めました。

しかし、彼の卒業式が終わり、中国へ帰国する3日前に、面接は受けたものの返事がなかった米国(ボストン)の研究室から「就職活動の状況はどうですか?」と連絡が来てしまったではありませんか。中国の病院は既に返事もしてしまったそうなのですが、キャリアを考えたときに米国の方が有利だと考えた彼は、米国行きを選択し、私もそれを支援しました。

一方で私は、社内での中国勤務に向けた動きを取り消すため、中国勤務への興味がなくなったことを偉い人にやんわりと伝え火消しをすることにしました。中国人の付き合っている人がいて~などと我々の状況を社内に開示してはいなかったので、ややコミュニケーションに苦労しました。恐らく、開示したとしても何ら不利益を被らないのでしょうが、そのような安心感がなかったというのが2021年の日本の典型的な大企業の一般従業員の感覚かなと思います。

火消をしながら私も米国へ行くためにはビザが必要であることを考え、解決策を模索していました。どうやらアメリカで結婚し帯同ビザを取得すれば、長期滞在が可能で、現地での就労もできることが分かりました。なお彼は4月に中国へと帰国し、厳しいコロナ隔離措置を経て実家に戻りました。(当時の中国政府のコロナ隔離はとても厳しく、1か月近くを隔離生活に費やしていました)。

遠距離から結婚まで(2022年4月~2022年8月)

彼はJ-1というビザで米国で働くことになりました。このビザには法的に結婚した配偶者に対して帯同ビザ(J-2)が発行されるとのことでした。法的な婚姻制度が整備されていない国同士(日本人と中国人)の場合にも帯同ビザが取れるのか?と疑問を持ちましたが、調べていくうちにおそらく問題なさそうだということがわかりました。色々調べたときの話はこちらで書きました。


そこで、まず結婚し、その後帯同ビザを取得して引っ越しをしようと考えました。ここまで考えたのが4月頃で、この頃には、2022年末には米国に遊びに行って結婚し、2023年の年末には会社を辞めて引っ越す予定でした。

時が流れ6月になり、彼の仕事の開始が9月に決定したため、彼は8月下旬に米国へ入国し、ニューヨークの友人を訪ねるとのことでした。ちょうど日本を経由する航空便だということなので、これを機に私も夏休みを利用して彼と一緒にニューヨークで会うことにしました。すると、彼の友人から、せっかくニューヨークで会うならその時に結婚すればいいじゃん?と言われ確かにそうだなと思い、予定を早めて夏休みに結婚することにしました。すぐさま、ニューヨークの結婚手続きを調べました。米国は州によって結婚の方法が異なるようですが、ニューヨークでは比較的手続きが簡単で、初婚ならばパスポートさえあれば大丈夫でした。役所にマリッジライセンスの発行とマリッジセレモニーの挙行の合計2日間足を運ぶ必要があり予約も必要とのことでした。

7月になり、結婚式を挙げるならばと指輪が欲しいと彼から言われました。今まで指輪はおろか結婚のことすら考えたこともなかったので、とりあえず近所の指輪屋さんにどんなもんかと見に行きました。店員曰く、お盆休みの関係で、製作には最長2ヶ月かかると言われ、万一間に合わなかった場合のことを考えそこでの購入は控えました。しかし、中国の指輪屋さんならすぐにできるとのことで、別のお店で指のサイズを測ってもらい、そのサイズを彼に伝えて、中国で指輪を購入してもらいました。納品は3週間ほどと驚くほど速く、さすが中国と思いました。サイズを測ってくれた指輪屋さんありがとう。

7月の下旬、役所への訪問の予約は約4週間前にオープンになるため、日本から予約をしました。私の滞在日数は10日間、当時はコロナで人数を制限、予約は平日のみですぐ埋まる、といくつかの要素があり、失敗はできなかったので少し神経を使いました。

久々の再会と結婚(2022年8月~2022年9月)

8月下旬、ニューヨークで再会しました。米国ではコロナ対応が比較的緩く、マスクを着用する人は少数でした。道端では約1~2割、公共交通機関内では約3~4割の人がマスクをしていました。結婚に関する詳細は別に記述したのでここではそのときに起きた面白いことを紹介します。

その当時、日本政府は入国者に対しその国籍を問わずコロナの陰性証明を必須としていました。通常陰性証明は医師の名前付き証明書が必要で、検査に約100ドル程度したため、私はニューヨーク市内で無料で受けられるという医師の名前付きコロナ検査を受けることにしました。すると、彼がコロナ陽性であることが判明。症状は特になかったのでびっくりです。すぐさま彼はマスクを常に着用し始めましたが、既に同じ部屋で過ごしていたため、私も2日後に陽性となりました。私はワクチン接種済みだったので重症まではいかないにしろ、少し重めの風邪のような症状に。熱は38~39度程度で咳が止まらず、現地のナースからアスピリン、タイレノール、咳止め、ビタミンC、鼻炎薬を薬局で買うようにアドバイスをもらい、何とか乗り切りました。抗ウイルス薬も無料で配っていたのですが、まだ治験の途中だから重症じゃないなら市販薬で乗り切ったほうが良いよというアドバイスももらいました。

コロナ発症から3日後、体調はまだ完全でないものの、役所で結婚式(マリッジセレモニー)を挙げました。というのも急にセレモニーを延期しようにも滞在期間中に予約が取れず、これを逃すと色々と予定がずれてしまうので何としても結婚式を行いたかったのです。米国では制限が日本ほど厳しくなく、一応N95マスクをつけて地下鉄に乗り、Airbnbで泊まっていたクイーンズからマンハッタンの結婚式場へと向かいました。マリッジセレモニーでは誓いの言葉、恐らく、「富めるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも助け合うことを誓いますか」、といったようなことを今病んでるんだけどなと思いながら誓いを交わしました。指輪の交換もあったので、やはり指輪は作っておいて思い出として良かったです。

入国後1週間が経過し、本来なら帰国予定でしたが、陰性証明が取れないため滞在を延長しました。幸い、海外旅行保険がホテル代と代わりの航空券をカバーしてくれたので、せっかくだから便利なマンハッタンのホテルへと移動しました。ちょうどその頃、日本政府の入国規制が変わり、9月7日からワクチン接種者は陰性証明なしで入国できるようになったので、その日の帰国を目指し滞在を延長しました。

余談1:この話を中国人にすると大抵「さすが日本人は旅行保険に入るんだね!」と言われます。

余談2:旅行に会社用の携帯を持ってきていてよかったです。コロナで帰国できなくなったことを連絡でき、さらに主催していたミーティングをぶっちすることになり、申し訳なかったです。

9月になり、体調も回復してきたので、マンハッタンのホテルに移動し、ニューヨークを観光しました。無料で滞在できたのはとても良い経験でした。当時のマンハッタンは普通のホテルでも1泊$300程度なため、当初の10日間の滞在予定では高すぎて諦めていたのですが、運よく(?)滞在できることになったため、ちょっとした新婚旅行のような気分でよかったです。彼は途中で仕事が始まったため1人ボストンへ移動しましたが、私は出国日まで2-3日ニューヨークに1人で滞在し、結婚したことを改めて実感しながら、多少の感慨に浸る時間がありました。

ビザを取るまで(2022年9月~2023年1月)

申請準備

帰国後、帯同ビザ取得のためにまず必要な書類を手に入れることにしました。彼の雇用主からDS-2019という書類を発行してもらい、人事を通じて私のもとに届けてもらいました。書類は約一ヶ月で到着しました。人事からは、米国大使館の立地国によって結婚の取り扱いがビザに影響を与える可能性があると聞かされ、少し不安に思いました。その年の年末年始は彼の家に遊びに行く予定だったので、とりあえずビザの申請はその後にすることにしました。また、日本で年末に母親と祖母に会った際、結婚したことを伝えたものの、相手の性別は伝えず名前や国籍だけを伝え、米国への引越しも告げました。

12月になり年末年始の休暇を利用してボストンに遊びに行くことにしました。米国での入国審査時には、滞在目的をパートナーに会うためと伝え、その他の詳細(滞在先、滞在期間、所持金等)も聞かれました。最後の方に、「ところでパートナーって何?ビジネスパートナー?」と聞かれたので、「Spouse/Husband」と答えると理解されました。どうやら、カップルの文脈でパートナーという言葉を使うのは混乱が多いようです。この経験から、今後パートナーという言葉を使うのを避けることにしました。ちなみに米国での同性婚の施行は2004年のマサチューセッツ州に始まり、全米では2015年からだそうで、州によっては20年近くの歴史があります。なので、2022年ではもはや特別でも何でもないのかもしれません。

さて、彼の家に泊まり、彼のボスが主催する研究室のクリスマスパーティーに招待してもらいました。米国ではカップルが職場のパーティーに同伴するのが一般的なようです。

米国滞在中、暇を見つけて大使館の面接予約をしました。J-2ビザはJ-1ビザのdependentビザであり、J-1ホルダーの情報を色々と入力する必要があるため、一緒にいる時に申請するのが簡単です。オンラインで面接日を申し込み、支払いをし、1月20日に予約をしました。

面接日

実際に面接を経て、ビザが意外と簡単に承認されました。必要な書類はマリッジサーティフィケート(Marriage certificate, 結婚証明書)、DS-2019、そして配偶者のビザスタンプの写真でほぼ大丈夫でした。インターネットではウェディングの写真だとか銀行口座の書類が必要だとか書かれていましたが、大使館が要求したものだけあれば大丈夫みたいでした。面接では簡単な質問があっただけで(いつ結婚したか、夫はどこで働いているか、いつ帰国するか等)、その後すぐに申請書類にApprovedのスタンプが押されました。どうやら、プライマリーのビザホルダー(J-1)がちゃんと取れていればJ-2は大したことないみたいです(そりゃそうだ)。実は書類にスタンプが押されるまで本当にビザが取れるのかどうか半信半疑でした。でも、論理的に考えれば米国内の法律で処理されるだけなので、当然といえば当然なのですが、身近な人の経験を聞いたことないと体験をするまで信じられませんでした。

面接後、1週間以内にビザの原本が自宅に届きました。そういえばコロナ対応により、予約時間が厳格化され、待ち時間は短くなっていました。数年前に企業内転勤ビザ(L-1)を取得した時とは大きく異なり、とても快適な経験でした。あの時は3-4時間くらい面接の待ち時間に費やした気がします。。。

出国まで(2023年2月~2023年6月)

ビザの有効期限が6月末に迫っていたので、それを基準に航空券を予約しました。6月にはすべての有給休暇を使い切る予定だったので、平日の出発でも問題ありませんでした。たまたまユナイテッド航空のマイルが溜まっていたので、お得に海外へ渡航できる航空券を予約しました。持ち出しは約400ドルだったため、当時旅行客を悩ませていた円安や燃油サーチャージの状況を考えても非常に良いチケットだったと思います。

余談:ビザの有効期限というのは、その国に入国可能な日として定義されているので在留の期限とはまた別です。自分が体験するまでビザの意味を知らず、他人のビザ切れはを違法なのではないかと誤解していました。

証券口座の解約

海外移住に際して必要な手続きを調べ始めましたが、予想よりも少なく、一ヶ月前に始めれば十分でした。一番面倒だったのは、すべての証券会社や金融機関の口座を解約し、ポジションを清算することでした。投資信託や株はタイミングによって損益が変動するため、前年からその準備を進めていました。また、特定口座の源泉徴収なしにして2022年に損失を集中させることで、2023年になるべく利益が出るように調整しました。しかし、2023年の相場が良かったため、早めに整理を始めるのは心理的に負担が大きかったです。

家具・不用品の処分、必要なものの発送

大きな家具類はすべて捨て、現地で手に入らないものだけ持っていくことにしたので、要らないものを少しずつ片付け始めました。食料や保存食の消化、調理器具や食器、本や雑誌を処分し、メルカリやジモティー等で売れるものは出品しました。我が家はエレベーターのない4階建てだったため、数か月間、定期的にゴミを下ろすのが一苦労でした。生活で使うものがほとんどだったため、引っ越し直前まで進捗が遅かったのも心理的に負担でした。

引っ越し直前まで使用していた家具やベッドは最終的に廃品回収業者に持っていってもらいました。今思えば最後にはもっと大量に処分してもらうのもありだったなと思いました。ただそれも、生活との兼ね合いなので何が楽だったのかいまだにわかりません。

持っていったものは、主に本や小さな生活道具、衣類で、これらは全て郵便で送りました。合計6箱送りましたがもう少し送っても良かったなと思いました。米国に到着してからは、「なぜこれを送ったのか」と疑問に思うようなものもありました。引っ越し時は判断力が鈍るため、荷物を詰め込んでしまっていたんだと思います。

職場への相談

4月になり、会社の上司に6月に米国へ引っ越すことを伝え、リモートワークの可能性について相談しました。急な相談だったため、上司は可能性を調べると言ってくれ結果をしばらく保留にしました。後で聞いた話ですがその日の夕方に私と同じチームのシニアの同僚からも辞めるとの連絡がきたらしく、マネージャーというのは大変な仕事だなと思いました。

私が働いていた会社では米国法人があったもののそれは西海岸であり、就労資格や税務、リモートワークの前例がないことから、勤続は実現しませんでした。まあ、ダメ元で聞いていたので当然の結果かなとは思ったのですが、色々調べてくれたのは意外でとても感謝しました。最終的に、会社を辞めることになり、6月はほぼ有給消化で過ごしました。

出発

引っ越し当日は、まだ発送していない段ボールがあったため、本当にバタバタと忙しい一日でした。ホテルを2泊予約していましたが、2泊では足りず、1週間ほど予約しておけばよかったと後悔しました。

出国の6月21日には、スーツケースとリュック、そして弓を持って空港へ向かいました。

弓道は私にとっては大事な趣味で、高校生で始めてその後しばらく時間が経ち、2021年に約15年ぶりくらいに再開しました。せっかく楽しみを再開したのにもうできなくなってしまうのかと消沈しましたが、ボストンでも弓道を続けられる場所があることを知り道具を持っていくことにしました。和弓は約2m30cmほどあり、オーバーサイズラゲッジとして預ける必要がありました。ホームセンターで購入した緩衝材(プチプチ)を何重にも巻き保護し、追加費用の2万円を払い預け入れました。ちなみに弓の梱包も当日間に合っておらず、蒲田のホームセンターで巻いていました。。。一人で全てを運ぶのはかなり大変でした。荷物運びサービスや空港直行サービス(そんなものあるのか?)を利用すればよかったと思います。

荷物を預けてしまえばあとは飛行機に乗るだけなので13-14時間のフライトが苦痛だった以外は特に問題はありませんでした。途中ニューヨークの乗り継ぎ空港でラウンジに入って食事とシャワーをしたのがよかったです。有料だったけど、元々安い航空券だったし、のんびりするにはピッタリ。

おわりに

彼と出会って約二年で米国に引っ越しました。好奇心を満たすため、遠距離や別れることなく、この選択をしてみました。経験してみないとわからないことは多いですが、これでよかったのだと思います。珍しい体験記として、あるいは同じような状況で困っている人に、この記録が役立てばと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?