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ハンバーグの歴史その1 戦前はハンバーグより普及していたイギリス料理「メンチボール」(東洋経済オンライン記事補足)

東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。

例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。

記事にある通り、戦前の洋食におけるメジャーな挽肉料理といえば、ハンバーグではなく、ハンバーグによく似た球状の「メンチボール」でした。

夏目漱石の『吾輩は猫である』に登場する「メンチボー」ですね。

池波正太郎も、東京の下町洋食の代表例として、ハンバーグではなくメンチボールをあげています。

池波正太郎『むかしの味』

池波正太郎が下町洋食の代表として例示したチキンライスは、カレーライスとともにイギリスから渡来した料理。

パン粉揚げのカツレツもイギリス料理。ポテトコロッケも、元々はフランス料理ですが、イギリス経由で渡来した料理です(なのでウスターソースをかける)。

詳しい理由については『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』を参照していただきたいのですが、日本においてまず普及した西洋料理は、イギリス料理だったのです。

ということは「メンチボール」もやはりイギリスからきた料理、と考えるべきかと思います。メンチはmince、ボールはballという英語を語源としていますし。

実際の所、19世紀のイギリス都市部の中流家庭料理においては、挽肉をボール状にして食べることが習慣化していました。ただし、名前はメンチボール(mince ball)ではなく、forcemeat ballといいます。

forcemeatとは、日本でいうと「つくね」「つみれ」にあたるものです。鳥獣肉、魚介類の挽肉にスパイス等を混ぜてこねたものです。

このforcemeat、肉や魚を丸焼き(ローストやオーブン焼き)する場合に腹に詰めたり、パイに詰めたりして利用しますが、単体として料理に使う場合は必ずと言っていいほどボール状に整形して使います。

19世紀イギリスの中流家庭料理を代表する料理書、『BEETON'S BOOK of HOUSEHOLD MANAGEMENT』から、forcemeatの製法レシピを抽出し一覧にまとめました。

ご覧の通り、forcemeatを単体の材料として料理に使う場合は、多くの場合球状に整形して使います。そして、つなぎとして鶏卵とパン粉を使うこともforcemeatの特徴です。

どうやら、この鶏卵とパン粉をつなぎにする習慣が、ハンバーグに受け継がれることになったのでは、というのが私の推測です。

さて、『BEETON'S BOOK of HOUSEHOLD MANAGEMENT』のレシピ一覧にあるとおり、forcemeatの材料は実に様々です。ロブスターに牡蠣、ベーコンにハムに脂身(スエット)。『BEETON'S BOOK of HOUSEHOLD MANAGEMENT』にはありませんが、料理書によっては脳みそなどもforcemeatになります。

獣肉を使う場合は、仔牛(veal)を使う場合が多いようです。仔牛は成牛(beef)よりも安かったせいか、この時期のイギリス料理に頻繁に使われます。パン粉揚げのcutlet料理も、beefではなくvealを使うことが通例です。

日本ではもともと、食肉用に仔牛を育成するという習慣はありませんでした。明治時代になると仔牛の育成も開始されますが、西洋料理に使用される獣肉の中心となったのは、食用に転用された農耕/運輸用の使役牛(成牛=beef)でした。

なので明治時代におけるパン粉揚げのcutlet料理は、veal cutletではなくbeef cutlet(ビーフカツレツ)が主流となりました。forcemeat ball(メンチボール)も同様に、使役牛の肉=beefに鶏卵とパン粉を混ぜたものが主流となります。

イギリスにおけるforcemeat ballの調理法は様々です。煮る、焼く、スープに入れる、カレーの具にする等々。

様々なイギリスのcutlet料理が、日本においてパン粉揚げ料理に統一されていったように、forcemeat ball(メンチボール)も、フライパンに油を敷いて焼く調理法に統一されていきます。

このフライパンで焼くメンチボールの普及が、似たような料理であるハンバーグステーキが戦後に普及する下地を作ることとなります。



さて、大正時代になると、ホテルなど一部の高級レストランで提供されていたフランス料理が、次第に大衆化していきます。

同時に、第一次大戦後の欧州の没落と超大国アメリカの勃興にあわせて、銀座を中心にアメリカ料理が大流行するようになります。昭和初期のアメリカ料理の流行については、拙著『串かつの戦前史』を参照してください。

そしてフランス料理のハンバーグ、アメリカ料理の「ハンバーグ・ステーキ」も、この時期の外食店に登場するようになります。

ハンバーグの歴史その2 大正時代からのアメリカ料理ブームとハンバーグ・ステーキの登場 に続きます。