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新刊無料公開『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』 その6 「第二章 カツレツの登場と普及」(冒頭部分)

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1.『西洋料理指南』の豕(ブタ)ノ油煮

明治5年に出版された『西洋料理指南 下』(敬学堂主人)の「小犢ノ油煮」。

『西洋料理指南 下』 敬学堂主人 (国会図書館蔵)

右下に半円形の骨付き肉の挿絵がある。この肉の形が非常に重要(著者がわざわざ挿絵を入れた理由も、この形が重要であるため)なので、記憶しておいていただきたい。

小犢ノ油煮は、この骨付き肉の骨を取り、小麦粉、卵黄、パン粉の衣をつけて牛脂で揚げた料理。現在の日本で言うところの仔牛のカツレツである。そして同様の料理に、「羊ノ油煮」と「豕(ブタ)ノ油煮」がある。

つまりこの「豕(ブタ)ノ油煮」こそが、ポークカツレツの資料上の初出である。

さて、現存するなかでは最古の西洋料理書に出現するレシピである。これが日本人の発明であるわけがない。西洋からやってきた料理のはずだ。

はたしてこれは、フランスからきたcôteletteなのだろうか?イギリスからきたcutletなのだろうか?

『西洋料理指南』はイギリス料理の本である。各所に現れる英語がそれを示しているが、イギリス料理の象徴というべき、卓上に置く各種調味料入れが紹介されていることが判断の決め手となる。

日本の西洋料理店、食堂、中華料理店でおなじみのこの卓上調味料入れは、イギリスからやって来たcruet setもしくはcastersで、もともと日本にはなかったものだ。

調味料は水溶き辛子、胡椒、醤油、酢、サラダ油の5種類(通常はこれに塩が加わる)。

サラダ用の純度の高い植物油をsalad oilとよぶ習慣はイギリス由来のもの。

2022年現在、日清オイリオが大正時代にサラダ油という名前を発案したと主張しているが、それは事実ではない。サラダ油、サラダの油といった表現はイギリス由来のものであり、明治時代から料理書や雑誌に登場する。

イギリスの代表的料理書(家政書)1861年『BEETON'S BOOK of HOUSEHOLD MANAGEMENT』のサラダドレッシングレシピ salad oilを使っている


東洋學藝雑誌明治17年29号のポテトサラダレシピ 「サラド」油を使用

フランスでは辛子は酢で溶く、とあるので、ここでの水溶き辛子はイギリス風、ということとなる。

“「ハ」ハ醤油ナリ此品ハ我國ニ有セズ我醤油ヨリ上品トス舶来ノ品ヲ用ユベシ”ここでいう醤油とは日本にない舶来の醤油、つまりウスターソース類である。

詳細については『お好み焼きの戦前史』「10.醤油とウスターソース」を参照していただきたいが、和製英語ウスターソースの語源となったリーアンドペリンのWorcestershire Sauceは、この頃=明治時代初期の時分は原料として醤油を使用していた。日本人がそれを見て「舶来の醤油」と表現するのは自然なことだったのである。

ちなみにフランスにおいては、この種のソース類を使う習慣がなかった。

1902年にイギリスで出版された『Law's grocer's manual』(James T. Law)には、リーアンドペリンのWorcestershire Sauceなどのmeat and fishソースはイギリス特有のものであり、フランスではほとんど生産されておらず、フランスで売ろうとしても売れないとある(P826)。

『Law's grocer's manual』

さて、先程のレシピ「小犢、羊、豕(ブタ)ノ油煮」には味がついていない。どうやって調味するかというと、卓上の調味料入れから選んだ調味料をかけて食べるのである。つまりどのように味付けするかは食べる人次第なのだ。

そして日本人は、調味料としてウスターソース(舶来醤油)と水溶き辛子を選んだ。なぜとんかつに水溶き辛子がついているのかというと、日本人がイギリスの調味料入れの中から、水溶き辛子を選んだからである。


2.cutletとは何か?

というわけで『西洋料理指南』の「小犢、羊、豕(ブタ)ノ油煮」はイギリス料理なのだが、イギリスではこの料理をどのような名前で呼ぶのであろうか。

19世紀半ばに活躍したイギリスのシェフに、Alexis Soyer(アレクシス・ソワイエ)がいる。

アレクシス・ソワイエ

彼が著した1846年の『The Gastronomic Regenerator』および1849年の『The Modern Housewife』はいずれもヒットし、19世紀を代表するイギリスの料理書となった。

『The Gastronomic Regenerator』は料理書にしてはイラストが少なく、料理や材料を描いたイラストは数点しかないのだが、その中の一つがこれだ(P294-295)。

『The Gastronomic Regenerator』のcutletイラスト

このやや歪んだティアドロップ形に切った肉を、当時のイギリスではcutletと呼び習わした。先程の『西洋料理指南』の「小犢、羊、豕(ブタ)ノ油煮」の挿絵は、cutletという一枚肉の絵なのである。

(中略 日本人が誰も知らないcutletの本来の意味についてはなぜアジはフライでとんかつはカツか?』参照)

『西洋料理指南』「小犢、羊、豕(ブタ)ノ油煮」の材料であるハートの半分型の一枚肉は、イギリスでいうところのcutletである。

それでは、パン粉の衣をつけて揚げる「油煮」という料理は、イギリスではどういう名前で呼ばれていたのか。

アレクシス・ソワイエの『The Modern Housewife』(1849年)に、cutlet型に切った豚にパン粉衣をつけて揚げる、「豕(ブタ)ノ油煮」と同じ料理が登場する(P236)。

料理名はPork Cutlets。

『The Modern Housewife』のPork Cutlets

つまり(cutlet型の)材料名=料理名なのである。

実際にイギリスにおいてポークカツレツを食べた日本人もいる。

明治34年に欧州に留学した獣医学者の津野慶太郎は、“倫敦(ロンドン)の豚の「カツ」は魚「フライ」よりもその味殊に優れ”と、ロンドンのポークカツレツが美味であることを報告している(豚の讃歌 津野慶太郎 『食道楽 昭和3年5月号』)。

(無料公開部分は以上です 続きはなぜアジはフライでとんかつはカツか?』にて)