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「鳥肌が立つ」について思うこと。

皆さんは「鳥肌」が立った経験はあるだろうか。

多くの人は「はい」と答える気がするので、今回はそれについて綴っていこうと思う。

Twitterで鳥肌を意識的に立てられる人がいるという記事を見て、なぜか綴りたくなった次第だ。

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驚いた時や怖い時によく鳥肌が立つというが、自身はその類いの人間ではない。
何かしらへの興奮(性的にではなく)や、感情を揺さぶられると出ることが多いため、あまり共感はできない。

また、人の涙を見たり、自身が涙を流すとそういった事象が体に起きる。
その涙は映画や知らない人のものではあまり起きなく、信頼度の高さや興味深さによって大きく異なる。
無論、その「世界観に没入する」度合いによって「鳥肌」は比例するのだ。

以前参加者をこの「世界観に没入」させたいという思いで開催したイベントがあった。自身が興奮する、感情を揺さぶられるのが分かっていたからこそ、作っていて楽しかった。実際イベント当日にも「鳥肌」が立った記憶がある。
創作メンバーとの「関係値」と「世界観への没入」が見事にマッチした作品だったからというのが理由である。
自身は今この瞬間、「鳥肌」を立てることはできないが、計画的に立てることはできる方だと思っている。

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イベントの多くは「自己満足の押し付け」なものが多い。
自身が開催したイベントもその一つであり、アート作品にすごく似ていると勝手に思っている。

自身の価値観を押し付けて、その虜にさせる。まさに洗脳である。

僕の好きな世界的アーティスト「バンクシー」のカメラマンは、いつしか自身も作家として作品を残すようになったという。
その作家の名前は「ミスター・ブレインウォッシュ(洗脳)」。
表現者は時に良くも悪くも人に影響を与えてしまう。
少なからずこの文章を見ている人は正しいと思うものや道を選んでいってほしい。

影響力の強い人や、いい作品の近くにいると人間は洗脳されていくというのが持論だ。

「世界観への没入」と綴ったが、これは一種の洗脳だとも思っている。

広告は「洗脳」を促進させるためのコンテンツであり、その度合いが大きければ大きいほど価値になる。

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全く「鳥肌」の話とは離れてしまったが、多くの人へ与えたければ、「洗脳」させることは必要不可欠であるというのが持論だ。

「洗脳」という言葉には棘が多く、メッセージ性の強さ故に、間違っていると声を上げる人も多いと思うが、それも一つの「洗脳」ではないだろうか。

自身の中でその言葉は「強く、熱く思い続けるために必要なもの」であり、「生きていく上で頼らなければいけない原動力」である。

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