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鶏口と牛後とレジリエンス

東北に赴任して初めての年度末。色々と忙しいですね。
立ち上げて1年にも満たない弊部門ですが、4月からの新年度に向けては最適配置をしっかり考え、少なくない異動を発令しました。
別部門に移られる方、新しく来られる方、皆さんのご健康と益々のご活躍を心から祈念しています。
今日はそんな新生活の季節にふと思うことをつらつらと書いてみます。


鶏口となるも牛後となるなかれ

という言葉があります。けいこうぎゅうご。寧為雞口,無為牛後。
起源は中国の史記にさかのぼるらしいです。
現代では「小さな集団であってもリーダーになれよ、大きな集団の後ろの方にくっついてるだけじゃダメだぜ」みたいな戒めとして使われていますね。

ビジネスにしろ一般の集団行動にしろ、いつかは誰かが先頭に立ってリーダーシップを発揮しなければいけない。そのためには皆それぞれがリーダーシップを育まなければいけない、ということに異論はありません。

しかしながら、必ずしも常に「鶏口」でいるべきということではないかもしれません。

集団における実力値は相対的なものである

勉強でもスポーツでも、ある集団でのトップがさらに上位の集団では底辺になるという現象はよくあります。挑戦を続けていればどうしてもぶつかる壁です。上に行けば行くほどさらに上がいる。トップが集まればその中には最下位が出る。リーダーシップどころではない。ツラい。

つまり絶対的な実力値にあまり意味はなく、母集団の中での相対的な立ち位置にこそ意味があるということ。
誰が優秀で誰がそうでないかなんて場所で変わるんですよ。

ちょうど先日そんな話を社内の自分のSlackチャンネルでしてましてね。
20年前にさかのぼりますが、私は社内の海外トレーニー制度の選抜を通過して初めての米国勤務をしてたんです。Washington, D.C.でした。

若い!髪が黒い!

先月に続いて若気の至りの懺悔のような話が続きますが。
まあまあチョーシに乗ってたんですよね。
3年くらい社会人して、地方の支店〜支社と渡って、いろんな企画通してそこそこの評価も受けて、まあどう見ても十分いい仕事してるだろ俺、みたいな。仕事できない奴は頑張りが足りないだけじゃん?みたいな。
仕事効率化して定時で上がって、英会話通って元々得意だった英語をさらに磨いて、純ジャパながらTOEIC800余裕で超えて選抜通った俺スゲエ。
まあいっちょ、九州代表で行ってきますわと。

意気揚々と行ったDC事務所で初めにアサインされた仕事は
「Hi ケイスキー, 来週の連邦通信委員会の分科会に傍聴参加して議事書いてきて」でした。

・・・まあ1ミリも書けませんよ。控えめに言って地獄です。
チョット何言ッテルカワカラナイ、どころの騒ぎじゃないです。

こんなこともあろうかとレコーダー装備して行ってますが、録音されたもの何度聞いても全くわかんないんですもん。スロー再生してもわかんないんですもん。法律用語、技術用語、各州の議員の様々な訛りやアクセント・・・そりゃまあ日常の英会話じゃないですからね。

それでもなんとか死にそうになりながらレポートらしきものを作って。
何が地獄って上司も先輩もみんな優しいんです。映画みたいにオーマイガーとか言わないんです。
淡々と私のレポートを修正してくれて。もうちょっとこうしたほうがいいとかアドバイスくれて。結局使われた部分はほんのちょっとで。ほとんどは書き換えられていて。それでも怒られるわけでもなく。

泣けましたね。
鶏口なんてとんでもない。牛後である資格すらない。
仕事できない奴は頑張りが足りないだけ?
それお前だよ、と。


過去の思い上がっていた自分がとても惨めで。
こんな世界で戦ってる奴らがいる会社で働いてたんだ。
福岡で伸びきっていた鼻はボッキボキに折られてしまいました。
そこからの数日は生きた心地がしなかったなあ。

レジリエンスを発揮する

この苦境を脱するヒントが欲しかった。
いろんな人と話しました。

ある人にはこんなことを言われました。
「平田だったら行かせてもいいって誰かが思ってそこにいるんだから別にお前のせいじゃなくね?開き直って全力で楽しんでこいよ」と。
楽しむどころの気分ではなかったんですが、少しは気が晴れました。

認めたくない事実ではあったけど、牛後から這いあがろう。

ただひたすら活きた英語を学ぶだけ。
日本人ばかり集まるところを避け、現地の議会や出張の場にどんどん飛び込む。機会があれば(かなり無理目でも)志願してプレゼンさせてもらう。
恥ずかしいとか言ってられない。聞き取れなかったらわかるまで聞く。自分の表現で通じていないところは全力でフィードバックをもらう。
死に物狂いで頑張っていると、1ヶ月もすれば頭の中から日本語がほとんど消えて、そこそこ流暢な英語を話している自分に気づきました。

FOMA懐かしいですね

これが今につながる私の強み、「レジリエンス」を発揮できた初めての経験だったと思います。

レジリエンス(resilience)とは、「回復力」「弾性(しなやかさ)」を意味する英単語です。「レジリエントな」と形容される人物は、困難な問題、危機的な状況、ストレスといった要素に遭遇しても、すぐに立ち直ることができます。もともとは物体の弾性を表す言葉ですが、それが心の回復力(精神的な強さの指標の一つ)を説明するものとして使われるようになりました。

https://www.recruit-ms.co.jp/glossary/dtl/0000000203/

またこうしたツラい体験の副産物として、人の見方が変わりました。
そこにいるPrideを持ち、そこにいる人をRespectする。
後に組織の立ち上げや採用育成などピープルマネジメントを任されることが増えたのも、こうした学びを早いうちに経験できたおかげかもしれません。

鶏口になるも牛後になるもいいなコレ

繰り返しになりますが「絶対的に優秀」とか「どこでも通じない」なんてことはありません。グローバルな場では日本人は自信のなさ、謙虚さばかりが目立つことが多いのですが・・・スタッフレベルでは、アメリカやインドなどと比較しても全く負けていないと思います。
(さらに東北では勤勉で実直な方がとても多いですねw)

4月から皆さんそれぞれ新天地の生活が待っていると思います。
中には私以上のHARD THINGSに遭遇する人もいらっしゃるかもしれません。だけどPrideを忘れずに立ち向かってほしい。
あなたはそこにいていいからそこにいるんです。

また、今は鶏口にいると思っている方。
挑戦を続けていますか?
ぬるま湯に浸かっているだけということはないですか?
組織はリーダーの器を超えない、は本当に真理です。
リーダーたるもの、常にリスキリングを続けて器を広げる努力をしなければ組織の成長はありえない。時には牛後に戻ってイチから学ぶ必要があるかもしれません。

人生、鶏口になったり牛後になったりしながら楽しんでまいりましょう!

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