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言語が及ぼす知覚への影響

 哲学の本をパラパラとめくり、目に留まった話題が人と言語についてです。

 この話を見る前まで、私は言語というのは既に成立している物事を伝達するための手段とまでしか思っていませんでした。

 砂や石は自然として存在しているから言語にされ、勇気や希望など目に見えない物は思想や観念として存在しているから言語にされ——これらは他者に伝達するために言葉で表現されているわけです。

 これくらいの捉え方で言語と今まで私は接してきたわけですが、アメリカのベンジャミン・リー・ウォーフの言語の考え方を見て、私は『そんな視点があったのか!!』と、静かな部屋で一人ふむふむと感心していました(笑)

 どんなことを彼は考えていたのかと言うと

 言語は既に形作られている外界や思想を表すだけではなく、言語の方が人の経験の在り方や行動を規定しているのでは?

 という考えです。

 これだけ見たら疑問符で頭が埋め尽くされる感じがしますので、例を出して理解へと繋げていきたいと思います。

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 中学校の時——恐らく英語を習い始めて、日本語と文法が違っていて困る人が多かったと思います。特に中学一年生の頃、英語では単数か複数かをはっきりしなければ名詞が使えないと聞き、『めんどくせー』と思ったのが記憶にあります(苦笑)

 なぜなら日本語ではそれを気にする必要はありませんからね。

 敬語が発達している日本語では、話題になっている人が自分よりも年上なのか年下なのかを知ることが第一です——が、英語では先程でも述べた通り、数を第一に考えています。

 英単語のsisterがそれに当たりますね。

 初めてこの単語の和訳を見た時、私は『姉か妹かはっきりしろ!』と思いました。挙句の果てには複数形としてsistersを習い『上と下どっちが増えたんや!』とむず痒く感じたのを鮮明に覚えています(笑)

 日本で兄弟の話をする時、兄弟がいることを伝えると、必ず『兄or弟?』みたいな会話になりますもんね。

 つまり、英語で最も優先されるのが年齢ではなく兄弟の数——日本語で最も優先されるのが年齢ということになります。

 だから英単語のsisterでは複数形というものがあり、日本語の姉妹では姉と妹に細分化されるわけです。

 今回の事から何が言いたいのかと言いますと、それは

 ある話題の視点が言語によって規制されている——言い換えれば、言語の方が人の経験の在り方や行動を規定しているのでは?

 ということです。

 やっと初めの強調部分に戻りましたね(笑)


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 今回の事から感じたこと

 言語によって私の行動が規定されているというのなら、クリエイティブな人からしたら困りますよね(笑)

 実際に私自身、友達に家族に関係する質問をする時、何人家族と聞くことはあっても、何人兄弟と聞くことはありませんでした(笑) 聞いたのは兄か弟かだけですね(笑) この時点で私の質問は日本語によって規定されているわけです。質問に数の限りがあると、会話に支障が出るのは当然ですよね…… だから私は話すのが苦手なのかもしれません(笑)

 別に問題というほど大袈裟なことではないのですが、この問題を解決するために、私は観察力が必要だと思いました。

 観察力があれば疑問に思うこと——質問にしたいことがポンポンと出てくるだろうし、自分の考えが広がるのは明白ですからね。それにある話題についての理解が深まることは間違いなしです。この場合、洞察力でも良い気がしますが…… 細かいことは後で調べます(笑)

 取り敢えず、そんな観察力を身につけるために日記を書いたり、写真を分析したり、小説を読んだりしたいと思いました。



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 以上、これが今回の学びでした!

 最後まで読んでくださり、有り難うございました!



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