木缶木ワ凶※ヒ三

生まれてきてからずっと、明るい人気者的なキャラクターだったと思う。

でも少しずつ、落ち込んだり人生がイヤになったりすることだってあった

社会人になって中華料理屋で働いていた時は、心にとても複雑な心境を体験した。
結果、転職して10年。

鬱っぽいのか?とか考えるようになる

定期的に来る気分の落ち込み、プライベートが関係していることもあれば仕事の影響が強い場合もある

それを妻に打ち明けられたのはAスケが生まれてからだったか。それまではよく覚えてないけど、自分の中で落ち着くまで待っていたと思う

打ち明けてからは少し楽になっていた

わかってくれる人がいるってだけで心強かったから

それでも、誰にわかってもらえても、最終的には私の中の問題であることに変わりはない

2024.03.22
お腹の調子が悪くなり発熱もあって床に臥した
早めに寝て起きるとやっぱり気持ちが落ちていて日曜に予定していた実家への遊び予定も私だけ行かずに一人で過ごさせてもらった

妻の理解にはとても助けられるが、あくまでそれは妻ができた人だというだけの話であって私の根本的な解決にはなっていないことはわかっていた

すると妻から
気が乗らないなら聞き流して欲しいんだけど、一回通院してみたら?

と提案があった。

たしかに、これの正体はなんなのか知る必要が出てきたのかもしれない

本当のこと言うと、知ったらどうなってしまうのかわからないからこわい

わからないことはこわいんだって、改めて思わされる

不定期にくるものだから、それこそこれを書いている今だって、「もう大丈夫なんじゃないか」という思いがどこかにある

でもそれは逃げなのかも

でも通院するまではまだこわくてできない

だから会社にあるメンタルヘルス機関を利用することにしてみた

何かあれば産業医もいるみたいだから、まずは話を聴いてくれる人とスケジュールを合わせることになっている
少し楽しみではある。不安はない
新しいことは好きなので、せっかくならまた新たな自分を知る機会にしようと思う


大学生のアルバイト時代、先輩ねぇさんから「ふじーくんみたいな人が鬱になりやすい」
みたいなことを言われたことを思い出す。
自分みたいな人っていうのは表面上明るくてそういう面しか見せない人のことかもしれない
マイナス面は出したくないって考えは確かにあった気がする


中学1年生の時の彼女にフラれた理由が「もうあの時ほど好きじゃなくなった」というものだった。
彼女の出身の小学校の運動会に遊びに行った時に出会い、向こうから好きだと言ってくれた。
彼女はとにかく可愛くて、みんなのアイドルのような子だった。そんな子が自分のことを好いてくれて、付き合うことになるなんて
小学生の時は割と異性からも同性からもモテていたので、驚かなかったのかな。今思うとすごいことだけど、そんな彼女からもうあの時のように好きじゃなくなったと言われた時はとてもショックだった。だって自分は特に変わっていないつもりだったから
でも今思えば変わらない人はいないのだから、変わらないように変化していたとすれば不自然だったのかもしれない


なんて過去を振り返ってみたが、ただ楽しいだけだった。振り返れる過去があることはいいことだ。
結果、会社の人に話は聞いてもらえたが、特に変化はない。またきっとその時は来るだろう
これはそんな自分とどう付き合っていくのか、という問題なのだと思おう
哲学しようそうしよう

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