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風邪とお風呂

居ても立ってもいられず布団を出て階下に降りたはいいも、養生に努めるほかに別段することがある訳でもなかった。

医者の父親譲りで、下宿の誰か体調を崩すと真っ先に療法やら薬やらを教えてくれる親切な同居人が一人、黙々とモニターに向かって何やらタイピングしている。彼から散々控えろと言われていたタバコを忍んで吸ってから、リビングを見回してみる。

誰だか知らないが、浴室から脱衣所までのドアを開け放しにしていて、ここからでも未だ湯気立つ浴槽がよくよく見える。
浴室で大声で歌うと、そこに面した隣家のおじいさんの怒声のコーラスが響く。年末の大掃除で住人の何人かが風呂掃除に駆り出され、今でカビ一つない爽快な浴室となっていた。心なしか、歌声も怒声も今ならばうんと響き渡るようにおもった。

そうだ掃除でもしようか、とも思うが、やはりそこまでの気力はない。大した熱感はないけれど、鼻とノドと頭と、首から上全て絶不調だった。いつであれ頭はボーっとしているし、何に向かおうにも無気力なのだった。

時刻は午後7時を回っている。
ハシビロコウのように換気扇の下で一時停止し見回りを終え、また上の階へ戻る。

自室は2段ベッドで、1段目には同い年の事業家が毛布にくるまっていた。日曜日だったので、今週全ての疲労を癒すかのごとく眠りこけている。
部屋に窓は備わっているけれど、カーテンはない。2段ベットに押しつぶされあってないようなものだ。時折聞こえてくる電車の音や、隣のアパートの一室からのテレビの声を2人の耳に響かせるくらいの役割しか持たない。
我ながら、よくそんな中で寝言をやったり布団をひっくり返す勢いで暴れまわりながら熟睡してきたものだと思った。

ふと窓の奥先の暗がりから「カラっ」という音が聞こえてきた。

夜が更け冬が深まるのを、みぞれやあられが窓を叩いて知らせてくれている。実家の鳥取にいたならその知らせだと一瞥せずとも分かるだろうけど、東京のそれなら、家鳴りだろう、くらいでおわってしまう。あの芯から冷え込む清々しい冷気と、夜の「カラッ」という音が無数に響くのを頭上に感じながら眠りについて、朝になって見る一面真っ白の庭の静けさ。東京の下宿暮らしの中、一体どうして思い出さずにいられるだろう。

気がつけば短針が午後8時に差しかかろうとしていた。

髪を手櫛してみてると妙に脂っ気が強くて、そういえば最後に風呂に浸かったのはいつだったか。昨日一昨日を巡ってみる。
首から上がほわほわする症状の中、ここ3日ほどを家の中のベッドやリビングで過ごしていた。ご飯なんてうどんばかりだし、一体いつのアレが何日目だったとか全くもって順当に記憶されていないのだった。短針や長針がどの数字を指していようと、1日のうち任意の時間に3度摂る食事、その後の錠剤が重要だった。ややもすれば薬を飲むために食事をしていたのかもしれない。

階下に降りて、浴槽を軽く磨いて湯を張った。
共有だから湯に浸かる前には丁寧に身体を洗う。東京に出てから一人暮らしはたった一度の一年だけで、ほとんどの時間を今のような下宿やシェアハウスで過ごしてきたから、こういう配慮は板についている。
どっぷり肩まで浸かれるほど湯に身を埋めると、入浴剤みたいに自分までもが湯に溶けてなく無くなってしまいそうになる。意味もなく四肢を揉んでみたり、水が沁みてふやけてくる手を眺めたりして、消えそうになる身体を留めたりする。

日長寝て過ごすなんていうことのない一日でも、一生懸命汗水垂らして働いた一日でも、こうやって湯船に浸かって身体を溶かしてみるとどんどんそんなことの意味が希薄になっていって、明日に向けてのリセットが粛々と進められていく。

ほら、もう明日には良くなってるから。

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