見出し画像

AIがイラストを自動生成することは悪いことなのか?

AIがイラストを自動生成できることに対して、嫌悪感や不快感を抱く人たちがいるようだ。

その理由は様々なので1つ1つ深掘りするつもりはないが、まぁ言わんとしたいことは分からなくもない。
AIが進歩しているからといって各業界で「ウチで使うイラストはすべて明日からAIにしましょう」なんていかないだろう。

イラストに限った話ではなく、人間の手や頭で行われていることをAIが代行しようとすると、必ずどこかで不満や軋轢が生じるものだと思う。

それは「仕事がとられる」などもあるだろうが、「人間の手でやることに価値がある」とか「人間の手でしか生み出せないことがある」という考え方に囚われてしまっているからだ。

別に、無理にAIを受け入れなくても良いのだが、せっかく人間が楽をするために発達させてきたテクノロジーなのに、それを拒むのは疑問である。

この手の話を聞くたびに「じゃあ、人間はテクノロジーの進化を止めてしまえばいいのでは?」と思ってしまう。

しかし、すでに周囲を見渡すとAIだけでなく色々な技術が、人間の生活や仕事を支えている事実がある。

そもそも、人間の手でやることに価値があるならば、スーパーのレジは店員が1つ1つそろばんで計算すれば良いという話になる。
おそらく、そんなことをしているお店があったら、大抵の場合はその店に来ないだろう。

それは人間の手で計算することに、今や誰も価値を見出していないからだ。
セルフレジにそろばんが置いていたら、きっと誰も活用しないだろう。

もっと言えば、人によっては電卓すら使う機会が少なくなっているだろう。徐々にバーコードや商品本体をかざすだけで自動計算してくれる店舗が増えているし、ネットショッピングでカートに入れるだけでモニターには合計金額が表記される時代において、計算するという行為がすでにアナログと化している。

このような発展は、どんどん進化すると思う。
そう言えるのは、テクノロジーが発展に反比例するように人間の”忍耐力”はどんどん脆弱になっているからだ。

考えてみてほしい。食事を準備するのだって、少し前ならば「電子レンジで温めるだけ」「お湯を注ぐだけでできる」というだけで技術や科学の恩恵を受けていたのに、次第にコンビニ弁当やスーパーのお惣菜に頼るようになり、現在ではウーバーなどの宅配に移行している。

いずれも一定の時間はかかるが、もはや温めるだけの工程すら人間は耐え切れないのかもしれない。

――― さて、冒頭のAIがイラストを自動生成するという話に戻したい。

おそらくだが、これもイラストを製作している人たちやイラスト作成が苦手な人たちが、「楽にイラスト生成ができればいいのに」という欲求から生まれた技術だと思う。

結構誤解している人たちが多いが、イラストを描くのが得意な人は短時間であっさり描けると思っていたり、イラストを描くのが好きな全ての人たちは仕事で楽しんでイラストを描いていると思っている。

イラストが描くのが得意でも好きでも、必ずどこかで楽をしたいと思う場面はきっとあるだろう。そのような「楽」を追い求めた母数が多いからこそ、その集大成としてイラストを自動生成するAIが生まれたわけだろう。

自動生成とはいえ一定の手順を学ぶ必要はあるものの、きっと数年先にはAIイラスト生成に対して不満を抱いていた人たちも普通に使うようになることは目に見えている。

むしろ、数年後も反発している人たちは少数派になると思われる。


――― 何もAI賛成派をきどっているわけでない。どちらかと言えば、どうでも良いと思っている。

何かしらの成果物を作ったのがAIか人間かなんて、あまり興味はない。
人間が作った方が良いと思うならば、AIを批判していないで手を動かして創作すれば良いだけの話ではなかろうか。

それでふと「これ面倒くせーな」と思ったら、そのときはAIに触れてみるのも良いかもしれない。意外に人間の手では実行不可能な部分を補ってくれる良きパートナーになるかもしれない。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?