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「自分は聞いていない!」なんて「我」に振り回されないために

自分は聞いていないという状況


「自分は聞いてないです!」

「事前に教えてくれないと困ります!」

「仕事に支障が出るの分かっていますよね!」

このようなことを、スゴイ剣幕で怒鳴って言う職員がいる。

仕事において情報共有は大切であるが、本記事でお伝えするのは情報伝達や周知の不備があったときの話ではない。

何かしらのタイミングで、その職員が知らない情報を耳にしたり、いきなり上司からその情報を告げられたときを想定いただきたい。

それに対して「自分が知っておくべき情報なのに、自分のところまでその情報が来ていない。どういうことだ!」となるわけだ。

その内容の進行度によっては、最初から自分も関わっておくべきだろうと余計に腹が立つのだと思う。


情報開示にはタイミングがある


情報伝達や周知の不備であれば、それを伝える担当者もお詫びするだろう。

しかし、そうでない場合、その情報を伝える担当者は意図的に伝達や周知をしなかったことになる。

言い換えると、意図的に情報開示に制限をかけたということだ。

それを理解していれば、自分のところに情報が来なかったことを怒るよりも先に、何かしらの理由があって情報開示を遅らせたと考えることができる。

これは経営者や管理職といった一定以上の役職に就くと、内容によって情報開示する範囲を限定したり、周知するタイミングを計ることはある。

その理由は色々ある。

例えば、まだ検討段階のため、役職者で話し合ってある程度の方針が決定したら周知しようと考えることもある。

また、企画段階のことを公開してしまうことで、それが外部に漏れてしまって企画が頓挫することを予防することもある。

あるいは、中途半端に「こういうことを考えている」と役職者が言ったばかりに、職場内で変に憶測と不信感が広がることを防止することもある。

実際、最後については私自身が経験したことであり、ただの雑談や思いつきで話したことが歪んで職場内で広がって、ある時「そういうことを勝手にやるのは控えてください!!」と直訴されたことがある。

「沈黙は金」という言葉を体感した次第だ。

いずれにせよ、その職員にとっては「聞いていない!」「もっと早めに言うべきでしょう!!」という言い分は分かるが、伝える相手を限定したり時期を遅くしたことには、それなりに意味があるという視点も大切である。


「我」によって苦しんでいる


自分も関わっている仕事だと、伝達や周知される情報が遅いことで仕事に支障が出るから困るという考えは分かる。

しかし、怒るのはそれが理由ではないと思う。

おそらくだが、自分が関わっている仕事なのに、それが自分のところに情報が知らせられなかったということに憤慨していると想像できる。

――― 仏教では「我(が)」という考えがある。

「我が強い」といったときに使われる「我」である。

「我」とは、ざっくり言うと「自分という存在」を強く意識することであり、仏教ではその自分という存在を意識するほどに苦しむと教えている。

「私が!」「私が!」と主張するほどに怒りや悲しみが湧く。

他人から認められたり注目されたりすると嬉しくなるが、それが続かないと
また「私を見て!」「この私という存在がいるよ!」と苦しむ。

だからこそ、仏教では「無我(むが)」という教えをもって、人間のもつ「我」の苦しみから解放しようとする。

別に無我の境地を目指しましょうなんて言いたい訳ではない。

本記事に絡めて言えば、「自分は聞いていない!」と憤慨することは、「この私という存在をないがしろにされた!」という「我」が暴走している状態ではないかと言いたいのだ。

一見すると仕事に支障が出るという言い分をしているが、ほの根底には感情を「我」によって振り回されている子供っぽい振る舞いだと気づければ、「今になって情報が来たのは、何かしらの理由があるのだろう」と思える。

それでも思うことがあれば、冷静かつ柔和に「もう少し早めに言ってもらえると助かります」とか「このタイミングで言うのは、何か理由があったんですか?」と言えれば大人の対応と言える。


――― とは言え、「今ごろ言うなよ!!」と憤慨することは確かにある。

実際に平時の仕事に支障をきたす事態になることもある。

しかし、そこで騒いでも仕方がないということもある。

私自身、報連相の遅れからトラブルが発覚したとき「もー、もう少し早く報告してよ」と思うことはあるが、そこで感情的になったからといって意味はないと思っている。

報連相が送れた職員を責める暇があったら、事実確認や現状把握をして対応を考えて実行するほうが建設的だし優先的だ。

また、情報を知ることのリスクも知っている。

1つの情報を知ったからには関わらなければいけない。
その情報の発端時期が早ければ早いほど、それに携わる時間も長くなる。
関わる時期が長くなるほどに対応範囲が広がる。

もしも「その情報こそ自分が知るべきもの」と考えるならば、その案件に
最初から最後まで関わるという覚悟が必要と思ったほうが良い。

それが嫌ならば、情報が届く時期によって自分の対応範囲レベルはそこまでだと理解するに留めよう。

「我」に振り回されるか、「無我」として粛々と目の前の役割に邁進するかはその人次第である。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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