個人開発でゲームを企画するメリット

ゲーム開発者の間で企画という言葉が出てくると大抵、ゲーム会社ではどういう企画が通りやすいのかとか、就活で出す企画書の書式はどうすれば...といった話題が中心だ。ゲームの企画=ビジネスでゲームを作るために必要なもの、という認識が一般的かと思う。

では自分一人でゲームを作る場合はどうか。趣味の作品にしろ、個人開発でゲームを販売するにしろ、企業レベルのゲームに比べると縛りが少ない。思い付いたアイディアをすぐ実装するのも容易で、そもそも企画というステップを意識しない開発者も多いのではと思う。
 だが僕が思うに、企画の最も本質的な役割は「アイディアを事前に具体化しておくこと」だ。頭の中でゲームを設計し、手を動かす前に面白さの根拠を集める。これが作品の質を高め、開発中に右往左往しないための軸となる。文書をどこまで充実させるかなど程度に差はあれ、個人開発であっても企画は重要だ。

むしろ僕は、個人でゲームを作るからこそ企画をすべきだと考えている。企画は単に今から作るソフトの質を高めるだけでなく、普段からゲームデザインのセンスを磨くための訓練にもなるからだ。

とにかく言語化する

僕は昔からメモを取るのが好きで、様々なアイディアを記録していく内にいつの間にか膨大な量の文章が溜まっていたりする。思考を言語化するのが癖になっていて、これがゲームのアイディアを磨く上でも重要な役割を果たすようになった。
 例えば、市販のゲームを遊んでいて気になった難点や面白い部分を抜き出し、自分だったらこんな風に作るだろうな...と想像を膨らませてメモに残す。その時点ではただの走り書きだが、別のゲームを遊んでいる時にふと関連性のあるネタが浮かび、メモを書き足したくなる場合が多い。
 文章の中にアイディアを保存しておくと、長い時間をかけて様々な気付きが蓄積し、それらが思わぬタイミングで結び付く。そうして熟成されたアイディアは密度や具体性が高く、徐々に説得力のある企画として立ち上がってくる。

普段からこういった思考を積み上げておくと、脳内でゲームを設計する力、そして豊かな発想力が鍛えられる。思い付きで手を動かすのではなく、事前に計画を練って自信を蓄えてから実行する癖が付くものだ。

ツイッターなどで、個人開発者がゲームの制作過程を公開しているのをよく見かける。思い付きで作り始めたのかアイディアの掘り下げが甘く、思ったほど面白くならず行き詰まってしまう...といった場面は珍しくない。
 頭の中で事前にアイディアを練る重要性やコツを、何らかの形でもっと広められないか?そう考えた僕はネット上で、ゲームのネタを文書にして公開したりしていた。

この頃はよりアイディアを楽しげに見せようと、なるべく図を増やしたりして体裁を整えていた。ただいくら視覚に訴えても、本当にアイディアが伝わっているのかどうか疑問に思う部分があった。
 ゲームは結局動いてこそなので、開発者は頭の中で動画を再生するようにアイディアをシミュレートしなければならない。また、そこに付随するプレイヤーの感情をじっくり予測する力が大事だ。静止画が並んだ書類をざっと読むだけでそこまでイメージするのはなかなか難しい。
 加えて、あまりたくさん図を描いていると表面的な作業に時間を取られ、発想力を磨くという点では効率が悪い。もっと徹底して言葉でゲームデザインを掘り下げたい...と悩んでいた。

そこで思い付いたのが「企画を物語のように書く」という手法だった。少しストーリー性のある形で、主人公が架空のゲームをレビューして内容を紹介していく...というもので、まるで擬似的にゲームを遊んでいるような感覚になれる文章を書こう、と考えた。

実際にプレイヤーがそのゲームを遊ぶ所を想定し、どういう手順で内容を理解していって、どんな所に驚いたり喜んだりするか...と具体的に想像を文章化している。単に要点となる仕様を説明していくのに比べ、より詳細にゲームの展開を掘り下げられる。
 物語風にすることで、読み手にも感情移入してもらえるよう工夫する意図もある。頭の中でゲームを設計する作業とはどんなものか、それを徹底して言語化するとどうなるのか、1つの参考になればと。

ゲームを作る度にこういった文書化をすべき、という訳ではない。すぐに試作した方がいい場合も多いし、結局は作り手の好み次第とも言える。
 ただ、1つの経験として言語化をきっちりやっておくと、ゲームデザインの見え方が変わってくると思う。細かく書き出していく内に、自分のアイディアが思った以上にふわふわしていることに気づくものだ。「もしこういう状況になったら遊びが破綻するかも」と次々粗が出てきたりする。

僕が物語風に企画を書いているのは、実は物語を書くことが「いかに破綻なく想像を具現化するか」という作業そのものだからだ。実在しない状況を頭の中に作り出し、その場の流れや雰囲気を計算しながら1つ1つ展開を繋げていく。これがゲームにおけるプレイヤーの行動・心理を予測する過程と似ている。
 ゲームを設計するために、いかに想像力が重要かは説明してもし切れない。作家は想像(虚構)を売る仕事だが、ゲーム開発者にも似たようなスキルが求められると僕は思っている。

自分なりに企画する

今回僕が語っている企画という概念は、もしかすると一般にゲーム開発者が考える企画とは異なる部分が多いかもしれない。少なくとも架空のゲームをレビューして企画とする、といったやり方はかなり特殊だろう。
 「企画とはこういうものである」とルールが決まっている訳ではないと思う。あくまで重要なのは脳内でゲームを設計する能力であり、その精度をどのように高めていくかだ。
 途中でコンセプトがブレて失敗するゲーム開発は珍しくない。自分が最初に何をしようとしていたのか、企画として文書を残すことでズレを防ぐ意味もある。

個人開発者であってももっと企画を書き、時にはネット上などで共有した方がいいのではと僕は考えている。自分の中で漠然と膨らませている案と、人に見せようと準備している案とでは、思考の密度が大幅に異なるものだ。
 自分の案を誰かに説明してもなかなか理解してもらえなかったり、意外と面白さに説得力がないと気付いて自信を無くしたりもする。そういった経験を通して面白さをアピールするコツが身に着き、同時に人のゲームの魅力を読み取る力も磨かれる。

個人的な印象としては、何らかの形で企画を経験している作り手の方が、知識と理屈に基づいた丁寧なアイディアを出してくる傾向がある。ゲーム開発を勉強するためにひたすらプログラムを書くのではなく、時には文章の上でゲームを作ってみることをお勧めしたい。


※本文は以上となりますが、有料部分にちょっとしたオマケを付けています。単なる思い付きとは違う、豊かな想像力による企画とは何か?を語ってみました。
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