2011.03.11 帰宅困難者体験記(両国~横浜)

日本人として触れずにはおけない。あと数日で丸10年になる、東日本大震災。自分も帰宅困難者を経験。当時は横浜市大口の社員寮に住んでいた。

当時、新卒2年目に差し掛かろうとしていた自分は、両国で仕事。その日は・・金曜ということもあり、仕事後は大学の友達と池袋で呑む約束。あと3時間少々で終わる・・そう思いながら仕事をしていると、突然縦揺れ・・と思ったら、西日本育ちの自分が経験したこともない激しい横揺れになり、机の下に避難。およそ2分くらいだっただろうか、ようやく収まったものの、オフィスはパソコンは倒れるわ書類は散乱するわ。けど、年度末で忙しく、後片付け、さぁ業務再開という時に、余震。これもすごかった。

流石に帰宅命令出され解散。この時は秋葉原くらいまで歩けば電車が動いているだろうと甘い見通しで、同僚と歩くことに。そして、秋葉原から池袋に移動して呑む気満々。

・秋葉原~品川
しかし、秋葉原に着いたものの、JRはおろかメトロ、TXも全く走っていない。しかも復旧の目途は立たない。そして、呑み行く約束をしていた友達と全く連絡つかず。私事だが、5日くらい前に購入した「地デジ対応テレビ」がどうなっているか無性に気になり、同じ社員寮にいる同僚と、歩いて横浜まで歩くことに。

なかなか普段歩かない所を歩くのは、最初は正直楽しかった。新橋など主要駅に立ち寄りつつ、電車がまだ走っていないことを確認し、ひたすら南下。

・・実はこの時、広島の親父からメールが来て、港湾の近くで働いているためか、「こっちも水門を閉めた」という内容。もしかしたら津波警報とか出てるのかな、瀬戸内海までは大げさでしょ、東北に来る津波も大したことがないと勝手に思っていた。おそらくこのメールが来た時が5時前後、既に東北沿岸は壊滅的だった。

・品川~六郷
品川駅付近まで来ると、色んな方向から人が集まり、第一京浜はまるで大規模イベントが終わった後みたいな人混み。同僚と話をしながら帰ってたけど、流石に疲れも出始め口数も減る。ビジネス靴で既に10キロ以上は歩いたためか、明らかに足の裏の皮が剥がれている感覚。

流石にお腹も減るとのことで、恐らく雑色とか六郷辺りで醤油ラーメンを食べた。店の名前は忘れたけど、純粋な味で温まる。

・六郷~川崎、そして力尽きる
体力回復、とりあえず横浜の社員寮までは残り10キロくらいだろうと再出発。この時点で夜の10時半くらい。ただ、本当に足が大変なことになって、六郷橋を渡り神奈川に入った頃には、本当限界。同僚は大丈夫でしたが、自分だけ川崎駅辺りで宿泊しようと思い別れる。

川崎駅付近は居酒屋も空いており、割と賑やかでしたが、カラオケがいっぱい、日航ホテルも満室、カプセルホテルもいっぱい。途方に暮れ、川崎駅のアゼリアに繋がる階段の所で腰かけていた。他にも帰宅困難者多数いたけど、階段に座ったまま寝ようと。

・市役所職員からの一枚の毛布、野宿
そんなところに、川崎市だったか川崎区の職員さんだったか、「兄さん、これで寝なさい」と一枚の毛布が。3月で夜は寒かったけど、何とかこれを手にし、アゼリアの地下街を少し進むと、避難所みたいな感じ。自分が選んだところの隣に、子供を連れた若ママが。この人たちの方がしんどそうと思いうようにして、始発まで頑張って耐えようと。

しかし、夜中も絶えず緊急地震速報が鳴り、ロクに眠れず。そして何よりも携帯の電源も切れており、暇。隣のお兄さんが読んでるサッカーマガジンを、お願いして自分も読ませていただき、朝の4時半くらいまでいた。

・始発で帰宅、そして東北の惨状を知ることに
JRが相変わらず停まったままで、京急川崎まで歩く。いや、1分くらいで着くんだけど、足が本当使い物にならず、大変。ひとまず京急で横浜方面へ。一応、当時の社員寮は横浜線、京急、東急東横が最寄駅で、京急の駅からだと徒歩7分。それほど近いのに、駅からはタクシー拾って帰る。

もしかしたら今回は歴史的な地震かもしれない・・と思い、珍しく新聞をコンビニで買おうとしたが、どの誌も一面の写真がエグい。そこで、未曽有の災害だったことを知ることに。慌てて家に帰ってテレビ(ちなみに購入したばかりのテレビは無傷)をつけると、どのチャンネルも信じられない映像が流れていた。

呑む約束だった友達からもようやく朝になりメールが届く。お互い、「共同する?」ってメールを送っており、それがこっちにもあっちにも朝届いたらしく。流石にこの日は一日寝て過ごすつもりだったけど、テレビの映像、そして福島第一原発のことを取り上げ始め、それらが気になり寝るに寝れない。という感じで、この体験記は終了。

・あとがき ~コブクロの「ここにしか咲かない花」~
最後に余談だが、ずっと歩いていると同僚とも話す話題がなくなる。普段持ち歩かないウォークマンが、なぜかこの日は鞄にあり、途中から音楽聴く。

津波で大変なことになったとはその時知らなかったのだけど、なぜかコブクロの「ここにしか咲かない花」を何度もリピート。

歌詞の一部に「あなたの笑い声はよく聞けば波の音でした」とあるのだが、震災直後からずっとここの歌詞が響くようになり、今もこの曲を聴くとあの頃を思い出す。

自分は帰宅困難者になっただけで被災者ではないけど、もしかしたらラジオなんかで、震災直後この曲はリクエストされていたりしたのかなとふと考える。

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