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昔の鉄道に、逢ってきた春の日

先日、とある列車が運行終了となりました。

岡山と福山を結ぶ快速電車の運行が、2022年春のダイヤ改正で消えました。この列車はその昔、新幹線が出来る前に山陽本線を広島や九州までかっ飛ばしていた電車急行列車で、新幹線開業後は運行区間を短縮したうえで一部が快速列車として運行を継続、その後は「都市的列車サービスの提供」を目指して大増発され、車両も京阪神の新快速用ハイグレード車を用いるようになり、その車両が「まさに国鉄時代の電車急行」のような乗り心地・走りっぷりだったのです。この列車が消えるということは、国鉄の電車急行の風情を味わう機会も消える…ということで、最後に乗りに行こうと。

さて、せっかく少し遠出することになるならどこか散策したく、どこを歩こうかなと考え、少し前に歩いて「見残し」がある福山の街が列車の終点だし…と思うも行程の関係で滞在時間が数十分しか取れず、少し手前の笠岡が未踏だったので笠岡にて下車。

笠岡には、見ておきたいものが、ありました。

笠岡には昔、ちいさな私鉄「井笠鉄道」の列車が、やってきていました。
もう廃止されて50年が経過しますが今も痕跡があちこちにあり、JR笠岡駅1番線ホーム西側にも痕跡があるとのことでやってきたのですが、それっぽい屋根構造物をまず見て、ほほぉ…しかしコレは、どうなんだろう…と。

それっぽくは見えるのですがなんとも確信できず、あらためて駅の外から見てみても…

はっきりと確信が持てず…

この屋根の正体や如何に…

こういうとき、ネットは便利ですね。どこかの誰かがアップしてくれた情報と、突き合わせ確認ができます。

ホーム屋根もなにも、そもそも屋根のある位置にまで線路は延びておらず、軽便ホームの痕跡でないことは明らかに。あらま残念とは思うも二階建ての事務所か何かの建造物は井笠鉄道営業時からあるので、それに附帯する屋根構造物は、そういう意味では「当時の名残」なのかも知れません…。

井笠鉄道営業時からある建物と軽便線路跡地

駅の痕跡は、結局は「敷地の形とごく一部の建物だけ」なようですが、それでも今も往年を偲べ、こんな駐車場であってもロマンを感じられたりもします。

駅の痕跡を見たら車両も見たいと思うもので、すぐ近くにある保存車へと歩を進めますが、線路を跨ぐ橋の上からの眺めに、暫し圧倒されます…

鉄道の車窓からは、なかなか見えない「笠岡の海」が、まさに瀬戸内の港の風情で拡がるさまに、しばし足を止めて見とれていました。知識としては知っていた「海のまち」を実感する、潮風。

この海を見ながら階段を降りると、目的の車両があります。

井笠鉄道ホジ9、輸送力と機動性を兼ね備えた車両として戦前に製造されたガソリンカーで、鉄道廃止時まで活躍した車両だそうです。古めかしい外観ですがしっかりと作られていて、製造から約50年ほど大きな手を入れず使い続けられたそう(エンジンは戦後にディーゼル機関に換装)。

古い車両とはいえボギー台車もしっかりしていて、乗り心地とかに大きな問題はなかったのでしょうね。

車内に入れたので見てみると…おや?座席は板張り?と思いきや、営業当時は座面のクッションや背もたれも普通にあるロングシートだったそうです。
(同型車の保存車の車内写真がネットにありました)

(引用サイトより借用)

なるほどこれなら小さめだけど普通の鉄道車両という感じですね。こんな列車に揺られて、井原や高屋そして矢掛からヒトやモノが笠岡を目指し、船や鉄道に積み替えられていたのでしょうか…。

車両を堪能したあとは街の散策にと出向いたのですが、それはまた後編に…

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